2-1-8

二一世紀の地球と人類を支える社会と経済の在り方を考える

資本主義的生産様式の社会の限界とその克服への道

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二一世紀の地球と人類を支える社会と経済の在り方を考える

資本主義的生産様式の社会の限界とその克服への道

はじめに

 

国民生活の再建と経済の再生への目眩まし

2025年の初冬、「年収の壁」と「議員定数の削減」とが政界の話題としてマスコミをジャックしてしまいました。

「年収の壁」は、2025年12月18日、178万円への引き上げで「自民」と「国民民主」が合意して、高市首相と「国民民主」の玉木代表が満面の笑みを浮かべて並んで映っている姿がテレビで何遍も流された。「年収の壁」が後ろに下がり「手取りの崖」が出来た結果、〝崖〟の前後で所得の多い人よりも所得の少ない人のほうが「手取り」が多くなるという珍現象まで生んだ「年収の壁」問題とは、納める税金が減って手取りが増え、その代わり行政サービスが減るということで、富がどこからか湧き上がって「手取り」が増えるという訳ではなく、単なるゼロサムゲームにすぎない。そして、「議員定数の削減」問題も、定数削減によって予算は削減されるが民意も削減されるという〝貧しい〟ゼロサムゲームにすぎません。

野村證券の社章ではないが、失われた30年によって国民は「ヘトヘト」になってしまいました。だから、参院選では、「手取りを増やす」という玉木さんの「国民民主」に多くの国民が投票した。しかし、「年収の壁」を後ろに下げたところで、富がどこからか湧き上がってくる訳でもなく、単なるゼロサムゲームにすぎない。国民が本当に豊かになるためには、新たに富が生み出されなければなりません。そのためには、失われた30年を取り戻す必要がある。企業がため込んだ現預金を吐き出させて設備投資を企業に強制し、企業の生産性を上げて「空洞化」した産業を復活させて新たな富を生み出させる必要があります。このように、より多くの富を新たに生み出すこと意外に国民が本当に豊かになる道などありません。

だから、ゼロサムゲームの「年収の壁」問題に合意し、満面の笑みを浮かべてテレビに映った両名が〝朝三暮四〟のゼロサムゲームに嬉々(キッキッ)として喜んだ猿なのか、それとも、両名とも国民をサルだと思って騙そうとするずる賢い人間達なのかは判然としないが、「参政党」の排外主義へと導くような主張を含め、私たちは問題の本質を明らかにして、国民が、国民生活の再建と経済の再生への道を見えなくする目眩ましにだまされないように、国民が、少数者が多数をだますための、金権・フェイク・ゲリマンダーの「民主政治」の餌食にならないようにするために、警鐘を鳴らし続けなければなりません。

このことを踏まえて、私たちが直面し、また、直面しつつある人類がつくった二一世紀の課題と資本主義的生産様式の社会の仕組みとの相性を確認し、二一世紀の社会の在り方とその作られ方について、みなさんと一緒に、考えていきたいと思います。

Ⅰ、資本主義的生産様式の社会の仕組みと二一世紀の課題

 

資本主義的生産様式の社会の宿命

資本主義的生産様式の社会は、個々バラバラの私「企業」が「資本」を大きくして、他企業に打ち勝つために設備投資を増大させ、規模を拡大させることによって国の経済が発展するという仕組みの社会です。

 だから、この資本主義的生産様式の社会を維持するためには、「企業」は「資本」を大きくし続けなければなりません。そして、「企業」が「資本」を大きくし続けるためには、①富の源泉である労働の果実を労働者から搾取し続けることが必要であり、②「企業」は大海原を泳ぐマグロのように「資本」を大きくし続けるために戦い続け、走り続けなければなりません。

 これが、資本主義的生産様式の社会の宿命です

 

二一世紀の課題と資本主義的生産様式

この二つの宿命のうち経済発展の原動力である②が逆に経済発展の足かせとなり、資本主義的生産様式が社会の発展の足かせとなるという、資本主義的生産様式に基づいた社会と経済の発展の限界が、二一世紀になって、誰の目にも、徐々に、明らかになりつつあります。

 それは、㋐「グローバル経済」の進展、㋑情報技術の急速な発展、㋒地球環境の急速な悪化、という二一世紀の世界が直面している〝三つの大きな課題〟に対し資本主義的生産様式はまったく相性が悪いからです。

まずはじめに、②「企業」は大海原を泳ぐマグロのように「資本」を大きくし続けるために戦い続け、走り続けるという「経済発展の原動力」が、上記の「三つの課題」に直面して「経済発展の足かせとなる」という資本主義的生産様式の致命的欠陥について、みなさんと一緒に見ていきましょう。

Ⅱ、資本主義的生産様式の社会を捨てなければならない三つの理由

 

1

グローバル経済がもたらす「資本」と「国家・国民」との乖離

商品とその代金だけが国と国との間を行き交う、いわゆる、「経済の国際化」の時期には、国内で生産した製品を海外へ輸出するという〝輸出中心の一本足打法〟により資本は大きな利益を得て、国内の設備投資と雇用を増やし、国内経済を拡大・発展させ、労働者階級もその利益のおこぼれの一部を享受することができ、「一億総中流時代」とも「資本主義の黄金時代」とも言われる一時期を出現させることができました。

しかし、「資本」と供給チェーンが世界中に分散し絡み合う「経済のグローバル化」が進展するなかで、日本においては、95年には、富の流出・雇用の流出・市場の収縮・社会の収縮という「産業の空洞化」の影響が誰の目にも明らかになり、1995年以降、国内の設備投資は低迷し、GDPは伸びず、雇用の需給が変化して資本に有利になり、労使の力関係が変わり、輸出拡大を口実に賃金は抑制され、現在に至るまで労働者の賃金は横ばいのままです。

資本主義的生産様式の社会は「資本」が大きくなることによって、経済が発展する仕組みの社会ですが、「経済のグローバル化」によって、日本は、一方で国内「産業の空洞化」による国の経済の停滞と国民の生活の低下を、そして、他方でグローバル化した「資本」の繁栄という、「資本」と「国家・国民」との乖離をもたらしました。「資本」は一円でも多く儲かるところを求めて、簡単に国家と国民を捨てます。「経済のグローバル化」が進むなかで、この現実を打破するためには、私的利益を求める「企業」を社会的な責任をはたす〝企業〟へと変えなければなりません。

 これが、科学的社会主義の主張です

 

2

〝情報技術の急速な発展〟を生かせない資本主義的生産様式の社会

「情報技術の急速な発展」は、遂に、一国の経済全体を時間差無しに完全に把握することができ、したがって、一国の経済全体を最も効果的かつ効率的に発展させることのできる技術の水準へと急速に接近しています。

★「情報技術の急速な発展」は、資本主義的生産様式の基でも個別企業にとっても「有益なツール」として十分機能を果たすことが可能であり、また、個々のバリューチェーンの最適化にも寄与することが可能です。しかし、「情報技術の急速な発展」が一国の経済全体を最も効果的かつ効率的に発展させることのできる技術の水準を社会が獲得することが可能となっても、その技術は、個々の私「企業」の集合体である資本主義的生産様式の社会のもとでは、個々のバリューチェーンの最適化のために寄与することはできても、資本主義的生産様式が持つ私「企業」による私的利益第一の「私的資本主義的取得」形態が「社会的生産」を妨げ、私「企業」が〝壁〟となり、障害となって、社会全体のスムーズでダイナミックで機動的な経済運営の実現を妨げます。

資本主義的生産様式そのものが〝技術的な進展がもたらす社会の発展〟を制限するものとなり、社会の発展の対立物となります。その克服の道は、企業を社会的存在として生まれ変わらせることです。

 これが、科学的社会主義の主張です

なお、マルクスは、『資本論』「第三部」「第三編 利潤率の傾向的低下の法則」の「第一五章 この法則の内的な諸矛盾の展開」で「利潤率の傾向的低下の法則」の発見によって、「資本主義的生産様式は生産力の発展に関して富の生産そのものとはなんの関係もない制限を見いだ」し、「この特有な制限は、資本主義的生産様式の被制限性とその単に歴史的な一時的な性格とを証明するのである。それはまた、資本主義的生産様式が富の生産のための絶対的な生産様式ではなくて、むしろある段階では富のそれ以上の発展と衝突するようになるということを証明するのである。」(大月版『資本論』④P304)と述べています。この、〝資本主義的生産様式は生産力の発展に関して富の生産そのものとはなんの関係もない制限を見いだす〟ということは、マルクスが『資本論』の第三篇を通じて読者に理解してもらいたかった大事な点ですが、「情報技術の急速な発展」もそのことを明らかにしています。

なお、蛇足ですが、不破さんは、「第一五章」について、ここで「展開した理論の主要部分を以後の草稿で取り消した章」だなどと放言していますが、「第一五章」を「取り消し」たら、『資本論』は『資本論』ではなくなってしまいます。(*)

(*)詳しくは、ホームページAZ-3-3「エセ「マルクス主義」者の『資本論』解説(その3)③「『資本論』第三部を読む」を検証する。(1/3)」PDFのP35以降を、是非、お読み下さい。

 

〝地球環境の急速な悪化〟を止められない資本主義的生産様式の社会

「地球環境の急速な悪化」は拡大し続けることを義務づけられた私的個別企業の「利潤第一主義」によってもたらされたものです。資本主義的生産様式のもとでも、国家の規制と科学技術の進歩によって個々の企業のバリューチェーン単位での地球環境の負荷の軽減は可能です。

 しかし、地球全体の資源と環境をどのようにコントロールするのか、そして、地球から得られた資源を社会全体の中でどのように最適に分配するのかという、「地球環境の急速な悪化」を根本的に食い止めるための方策は、私的「企業」が利潤を求めて個々バラに無政府的に行動することを原理とする資本主義的生産様式のもとでは立てることができません。各企業が社会的な責任を自覚した社会的な存在としての企業として互いに連帯して、環境と資源の全体をコントロールし、消費のために得た資源の最適な分配のために一体となって協力することのできる社会システムをつくることなしに、「地球環境の急速な悪化」を根本的に食い止めることはできません。

人類は自らの想像力を超える速さと規模で科学技術を進歩させると共に自らの想像力を超える速さと規模で「地球環境の急速な悪化」をもたらしています。「地球環境の急速な悪化」はその改善の道の明示によって「古い社会の変革契機」となり、人と自然に優しい〝地球環境〟づくりのために「生産」が「資本」の軛から解放されて真の〝社会的生産〟が実現したとき、〝企業〟は未来を担う「新たな社会の形成要素」となることができます。

 これが、科学的社会主義の主張です

Ⅲ、科学的社会主義は「搾取に基づく経済の発展の社会」をどのように変えようとしているのか

 

経済発展の仕組みを変える

私的「企業」による利潤を求める「自由」な競争によって社会を発展させるという資本主義的生産様式の社会の仕組みが、労働者の搾取を基礎にして社会を発展させるという非道徳性・正義の問題だけでなく、㋐「グローバル経済」の進展、㋑情報技術の急速な発展、㋒地球環境の急速な悪化、という現代の世界が直面している三つの大きな課題により、その限界が益々明らかになりました。

 この〝資本主義的生産様式の社会の仕組み〟を変えるとは、どのようなことなのか、一緒に見てみましょう。

これまで見てきたように、資本主義的生産様式の社会は資本が大きくなることによって経済が発展するシステムの社会ですから、その発展の鍵は、人間ではなく、「資本」が握っています。その仕組みは、個々の私「企業」が〝お金〟を「資本」として労働者を雇い、生産に必要な物資を準備し、雇われた労働者が働いて創りだした富の一部を「資本」の持ち主である「企業」が労働者から横取りして「資本」を増やし、増やした「資本」で事業を拡大させて経済を発展させるというものです。

 この経済発展の仕組みは、①「資本」が「企業」の経営権を持ち、②搾取された労働者の富が「企業」の発展の原資になる、という二つの要素からなっています。これが、資本主義的生産様式の仕組みの骨格です。

だから、〝資本主義的生産様式の社会の仕組み〟を変えるとは、この資本主義的生産様式の仕組みの〝骨格〟を変えることです。それは、①「資本」による「企業」の経営権を剥奪し、「企業」を私的な存在から公的・社会的存在に変え、②「企業」による労働者の搾取に基づく経済発展の仕組みを廃止して新しい仕組みをつくること、これが、新しい生産様式の社会の仕組みの〝骨格〟です。

①私的資本主義的「企業」から公的・社会的〝企業〟への脱皮の道

新しい生産様式の社会の仕組みの〝骨格〟を作るためにおこなうべきことは、まず第一に、「資本」の所有者が「企業」を支配することができるという権利を法的に改め、企業が社会の公器・社会的存在として活動することを義務づけ、それを保障する制度を創設することです。

②労働者の搾取に基づかない経済発展の方法

そして、第二に、労働者を搾取しなければ経済を発展させることができず、労働者を搾取することによって消費を制限し、「投資」を拡大し続けなければ維持することができない資本主義的生産様式は、根本から、改めなければなりません。

そのために、労働者が生み出した利益の全てを労働者に還元して労働者の搾取をなくすことによって非道徳性・正義の問題を解決し、資本主義社会を維持・発展させるうえで宿命でもあった「生産と消費との矛盾」を解消する。合わせて、労働者の搾取に基礎をおく「資本」の拡大に頼った資本主義的生産様式における設備投資の方法を改め、①GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の資金及び②国が発行する設備投資「国債」を実質無利子で企業に融資し、設備投資資金の融資を受けた企業は減価償却費として一定期間をかけてGPIF又は国にその融資額を返済する。なお、国が発行した設備投資「国債」は、市場から資金を吸収することによる経済の停滞を避けるため日銀が買い取り、国は企業から返済された資金で日銀から設備投資「国債」を買い取り償却する。このことによって、「資本」を拡大し続けることのよって経済を発展させるという資本主義的生産様式を終焉させる。

『資本論』でのマルクス・エンゲルスの言葉

なお、『資本論』「第三部」「第36章」でマルクスは「資本主義的生産様式から結合労働の生産様式へ」移行した社会では、「生産手段が資本に転化しなくな」ることを述べ、「企業」における「資本」の支配がなくなることを明言しています。(『資本論』大月版⑤P783-784参照)

 

企業の運営の仕組みを変える

前項で、〈①私的資本主義的「企業」から公的・社会的〝企業〟への脱皮の道〉として、「「資本」の所有者が「企業」を支配することができるという権利を法的に改め、企業が社会の公器・社会的存在として活動することを義務づけ、それを保障する制度を創設すること」を述べました。企業が社会の公器・社会的存在として、真に、社会的生産を担うためには、その機能を担保するための社会的性格を整えることが求められます。

企業が社会的生産を担うために、その機能を担保するための社会的性格を整えるうえでその基礎となるのは、企業(職場)が民主的になることです。例えば、企業が悪いことをしても内部告発がなければ、どんな優秀な監査役がいたとても、悪事を隠し通すことは可能です。だから、労働者の代表が企業経営に参加して、労働者の地位を高め自由にものの言える企業にすることは、企業が社会的性格を備えるための、初歩、第一歩です。

だから、資本主義的生産様式の基であっても、労働者階級が自らの「企業」、自らの「産業」、そして「産業全体」の在り方に関心を持ち、関与のための能力を高め、関与への努力を怠ってはなりません。しかし、本当に企業が民主化され、企業が社会の公器・社会的存在となるためには、社会全体が、政治も経済も民主的に再編されることが必要です。

 そのために、科学的社会主義はどのような運動をしなければならないのか、一緒に見ていきましょう。

 

これらを実現するための科学的社会主義の運動

科学的社会主義の運動がめざす社会は、社会のあらゆる分野が主体的、能動的、民主的に組織された、自律的な人々によって運営される社会です。

 だから、レーニンはロシア革命の展望について、「ブルジョアジーから奪いとった生産手段にたいする、全人民の民主主義的管理を組織することなしには」、全勤労大衆を「彼らの国事参加を民主主義的に組織する方向にむかわせることなしには」革命を成功させることができないことを述べ、「プロレタリアートの独裁」とは、「民主主義の完全な発展、すなわち、あらゆる事への、また資本主義廃絶のあらゆる複雑な問題への全国民大衆の、権利を真に同じくした、真に全般的な参加の完全な発展とを結びつけるのである。」(『ぺ・キエフスキー(ユ・ピャタゴフ)への回答』1916年8月~9月に執筆 全集 第23巻P17~18)と言って、「民主主義の完全な発展」の中に科学的社会主義の運動の未来を見たのです。

これまで見てきたように、資本主義的生産様式に変わる新しい生産様式の社会は「企業」が私的資本から解放されて、社会の発展が人々の豊かさと結びついた、人と人、人と企業が社会を豊かにするという同じ方向をむいて結びつき、企業同士、企業と社会が社会を豊かにするという同じ方向をむいて結びついた、社会全体のスムーズでダイナミックで機動的な経済運営を可能にする社会です。

 このような社会は、「民主主義の完全な発展」を必須条件としており、そのような社会の実現をめざす科学的社会主義の運動は国民総参加・総がかりの運動の発展に努め、その成功が新しい生産様式の社会に欠かすことのできない「民主主義の完全な発展」を保障します。

 各階級がそのイデオロギーを競い合う政治の場が科学的社会主義の運動の到達点を確認する舞台ですが、日本は、残念ながら、「金権」、「フェイク」、「ゲリマンダー」という土壌の上に「地盤」「看板」「世襲」で武装した陣笠議員たちや官僚出身者たちなどが国民の「代表」として政治支配し、彼らが司る「民主政治」によって、政治が空洞化されています。

 科学的社会主義の運動は、この政治の場を国民運動の到達点を確認し、確定し、より一層前進させるための狼煙を上げる場──つまり、議会を人民が参加する革命運動の場──として様々な分野のことを本当にわかった各分野を代表する人たちを政治に参加させ、国民総参加・総がかりの運動の発展のために力を尽くさなければなりません。

 

科学的社会主義の運動における科学的社会主義の党と人民との関係

科学的社会主義の運動における科学的社会主義の党と人民との関係について言えば、〝党〟は科学的社会主義の運動の道を明らかにして人民が遂行する〝革命の助産師〟の役割を担い、〝人民〟が革命運動の主体として運動を遂行し、党はその人民の中にある、という関係にあります。科学的社会主義の運動は、その道を示して人民が遂行する〝革命の助産師〟の役割を担う〝党〟と〝革命の主体〟である〝国民の統一戦線〟との二人三脚の運動です。この関係基づき、科学的社会主義の運動論は導き出されます。

☆〝革命の助産師〟である〝党〟には、第一に、「資本」の行動とその取りまく状況が国民と国家に及ぼす影響について正確に見定めることが最も求められています。その役割を誤りなく果たすためには、科学的社会主義の思想を基礎とした活発で多様な意見の交流とその見える化が絶対かつ必要な条件です。だから、現在の「共産党」にように、意見を「支部」というタコ壺のような組織に閉じ込めておいては正しい判断はできません。〝革命の助産師〟である〝党〟は、自らの、科学的社会主義の思想を基礎とした活発で多様な意見の交流を国民に見える化し、国民と共に考え(政策)を豊かなものにしていかなければなりません。

そして、〝革命の助産師〟となるべき〝党〟は、第二に、〝国民の統一戦線〟の組成に注力しなければなりません。〝革命の主体〟である〝国民の統一戦線〟を国民と共に育てていくことこそが〝革命の助産師〟である〝党〟の歴史的な使命・任務です。だから、現在の「共産党」のように国政選挙において党員を当選させるために「後援会」を作って国民に〝後援〟してもらうなどというのは本末転倒であり、国民による国民の新しい国づくりのためのエネルギーを引き出すことなどできません。「共産党」はその改善の第一歩として、〝革新懇〟が〝国民の統一戦線〟の一翼を担い得る組織となれるよう援助をおこない、〝革新懇〟の一員として国政選挙をたたかうことが求められています。

★社会変革の主体である〝国民の統一戦線〟は、当面する喫緊の課題を国民本位に解決するための国民共同の運動体です。その構成員は、当面する喫緊の課題を国民本位に解決することを願い、国民が社会のあらゆる分野で主人公として社会を動かすことのできる社会の実現をめざす社会のあらゆる分野の団体と個人です。〝国民の統一戦線〟を生み出すための〝核〟となるのは〝政党〟ですが、現時点で共同できる可能性があるのは「れいわ新選組」、「社民党」、「新社会党」、「共産党」などが考えられ、「科学的社会主義の党」を自任する「共産党」には、口先で「統一戦線、統一戦線」と言うだけでなく、本当に〝国民の統一戦線〟を生み出すためにこれらの〝党〟の共同を実現するために、粉骨砕身の努力が求められます。同時に、企業の統制下に組み込まれていない労働組合には、これまでの経緯と因縁を捨て、労働者の生活を守り、企業における労働者の地位の向上をめざすという労働組合の共通の原点に立ち返り、〝国民の統一戦線〟を生み出すために力を合わせる努力が強く求められています。

このようにして、国民が結合するための〝核〟ができれば、社会のあらゆる分野の団体と個人に未来への光が見えはじめ、その光が彼らの変革のエネルギーへと転化します。こうして生まれる〝国民の統一戦線〟こそが、社会のあらゆる分野の英知を結集して「民主主義の完全な発展」への道を切り開くことができます。大きな努力と発想の転換が必要ですが、この道以外に「民主主義の完全な発展」への道はありません。そしてこの〝国民の統一戦線〟組織は、〈民主主義の完全な発展〉とか〈国民の連帯〉とかの呼称で呼ばれるかもしれません。

 これが、社会を変えるために科学的社会主義が提起すべき運動です