3-2-7

『資本論』を〝坊主が天国を語る書〟に変える志位さん

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『資本論』を〝坊主が天国を語る書〟に変える志位さん

はじめに

 

『赤旗』の連載「志位議長の「赤本」講義から」を取り上げた理由

現在の「共産党」は自民党が長期にわたって作った新自由主義という政治の枠に縛られ、その改善に目を奪われ、科学的社会主義の思想を現実政治のなかに提起することを捨てさり、科学的社会主義の思想を〝坊主が天国を語る〟観念の世界に変えてしまいました。

『赤旗』は、2025年10月6日から5回の連載で、志位さんが国会議員団と事務局を対象に行った「労働者階級の成長・発展を主軸にして、社会変革の展望をとらえる」と題した「赤本」(「Q&Aいま『資本論』がおもしろい:志位和夫)の講義の「いくつかの中心点」を「紹介」しています。

その内容は、マルクスが執筆しエンゲルスが必要最小限の補筆をして世に出た科学的社会主義の書である『資本論』を〝坊主が天国を語っている〟かのような「書」に上書きすることによって、科学的社会主義の思想に近づきたいと思いる人たちや党員の目を曇らせるものでした。

「赤本」の講義の欠陥を貫くものは、①『資本論』に書かれている「結合労働の生産様式」(『資本論』大月版⑤P783)についての理解の欠如と②資本主義的生産様式がもつ〝根本矛盾〟=〝生産の社会的性格と取得の私的・資本主義的形態の矛盾〟の無理解と黙殺の2点ですが、連載は科学的社会主義の思想の成立過程の無知、そして、『資本論』の曲解とねつ造に満たされています。

このページは、「共産党」の志位議長がかたる〝天国〟のページを一枚一枚引き剥がして、現代の日本に科学的社会主義の思想を蘇らせ、人民とともに政治と経済・社会を根本から変革する、これまでの自民党政治の枠に縛られない、旗幟鮮明な旗を提示しています。

これまでの自民党政治が右側から壊されつつあるなかで、しっかりした対抗軸が今ほど求められている時はありません。

以上が、『赤旗』連載の「志位議長の「赤本」講義から」をこのページで取り上げた理由です。

①第1回連載について

 

デマから始まる第1回連載

第1回連載の志位氏の「講義」は、「それ以前の時期(1865年前半──青山注)、マルクスは「恐慌が起これば必ず革命が起こる」という「恐慌=革命」論に立っていました。」と、師匠である不破さんが創作したデマから始まります。

マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』(1848年)で「近代的労働者、プロレタリア」に歴史的使命を説き団結を呼びかけ、資本主義による「近代的生産諸力」の発展が「もっと全面的な、もっと強大な恐慌」を準備をすることを述べていますが、不破さんがデッチあげて命名した「『恐慌=革命』説」などとっていませんでした。

 なぜなら、『共産党宣言』をマルクスと共に世に出したエンゲルスがベルンシュタインあての手紙(1882年1月25-31日)で「恐慌が政治的変革の最も強力な槓杆のひとつであることは、すでに『共産党宣言』のなかにも述べられており、『新ライン新聞』の「評論」でも1848年までを含めて詳論されています。しかし同時にまた、そのあとの繁栄の回帰は革命を挫折させて反動の勝利を基礎づける、ということもそこに述べられています。」(レキシコン⑧-[279] P289)と述べ、「恐慌」を「政治的変革の最も強力な梃子のひとつである」と考えていたが、マルクスもエンゲルスも不破さんの言う「恐慌=革命」説などとっていないことを自らの明らかにしています。(*1)

不破さんはこのデマを〝種〟にして、──「資本主義は発展し続ける」のだから「国民の生活を守るバリケード」を作り続けなければならない。そして、このたたかいを通じて議会で共産党が多数となる「多数者革命」を成就させる──という、社会全体を変える〝人民革命〟を「政治」に矮小化し、共産党が多数となる「多数者革命」という、自らのエセ「革命」論を完成させます。(*2)

その結果、戦いの場は議会のみとなり、敵は自民党で、諸悪の根源は自民党の新自由政策となり、資本主義的生産様式を担う私「企業」の行動が視野の外におかれ、「国民の生活を守るバリケード」の一環である「賃上げ」や「労働条件の改善」のみに労働者階級の闘いが矮小化され、労働者階級を中心とする国民が主体的に行うべき資本主義的生産様式の社会を変える労働運動(革命闘争)が「共産党」等が請け負う資本主義の「政治的」な改良闘争となります。この現在の「共産党」を没落させ続けているたたかいの方法を正当化するための「導入の文章」がマルクスとエンゲルスに対するデマ攻撃なのです。

第1回連載のタイトルは「労働者階級の成長・発展こそが社会変革の原動力」となっていますが、〝労働者階級の成長〟とは労働者階級が資本主義的生産様式の社会のしくみを知り、新しい生産様式の社会のしくみを理解して労働者階級の歴史的使命を自覚することですが、「赤旗」特集は、「『いかにして労働者階級の成長・発展を促進し、その多数を結集するか、そのための日常不断のたたかいをいかにして前進させるか』が主題になってきます。」という「問題意識」なるものを述べるだけです。当たり前の「問題意識」を〝問題提起〟するだけで、そのための道を示すことができない。ここに現在の「共産党」の問題があります。

 以下で、その原因を見ていきましょう。

(*1)及び(*2)のより詳しい説明は、ホームページ4-19「☆不破さんは、マルクスが1865年に革命観・資本主義観の大転換をしたという、レーニンも気づかなかった大発見を、21世紀になっておこない、マルクスの経済学をだいなしにしてしまった。」を、是非、参照して下さい。

 

未来社会が何も語られていない「未来社会」論

志位氏は「この講義では、『赤本』よりも踏み込んで、もう少しまとまって話したい」と述べて、未来社会は、「自由な人々が社会的生産を共同して進めるために自由意志で連合します。」、「未来社会では自由意思によって『結合した(アソツィーテル)生産者たち』として社会の主人公になります。」と、『赤本』なるものを読んでいないので何処をどう「踏み込ん」だのかはよく分かりませんが、〝坊主が天国を語る〟ようなことを言います。これが、志位さんが『資本論』(不破版エセ「資本論」か?)から学んだ科学的社会主義の「未来社会」論だというのです。

私は「『赤旗』の連載「志位議長の「赤本」講義から」を取り上げた理由」で、「赤本」の講義の欠陥を貫くものの①として「『資本論』に書かれている「結合労働の生産様式」についての理解の欠如」を上げましたが、〝結合労働の生産様式〟の社会とはどのような社会なのか、『資本論』で見てみましょう。

『資本論』第27章から

「株式会社では、機能は資本所有から分離されており、したがってまた、労働も生産手段と剰余労働との所有者からまったく分離されている。このような資本主義的生産の最高の発展の結果こそは、資本が生産者たちの所有に、といってももはや個々別々の生産者たちの所有としてではなく、結合された(assoziierter)生産者である彼らの所有としての、直接的社会所有としての所有に、再転化するための必然的な通過点なのである。それは、他面では、これまではまだ資本所有と結びついている再生産過程上のいっさいの機能が結合生産者(assoziierte Produzenten)たちの単なる機能に、社会的機能に、転化するための通過点なのである。」(マルクス経済学レキシコン⑤P17、『資本論』大月版④P557)

つまり、マルクス・エンゲルスは、資本主義的生産様式の次に来る社会が「資本が結合された(assoziierter)生産者の直接的社会所有としての所有に転化した社会」であり、「資本所有と結びついている再生産過程上のいっさいの機能が結合生産者(assoziierte Produzenten)たちの単なる機能に、社会的機能に、転化する」ことによって「資本」そのものが意味をなさない社会、つまり、資本のない社会になることを明らかにしています。

そして、『資本論』第36章から

「最後に、資本主義的生産様式から結合労働の生産様式への移行にさいして信用制度が強力な槓杆として役だつであろうことは、少しも疑う余地はない。とはいえ、それは、ただ、生産様式そのものの他の大きな有機的な諸変革との関連のなかで一つの要素として役だつだけである。これに反して、社会主義的な意味での信用・銀行制度の奇跡的な力についてのもろもろの幻想は、資本主義的生産様式とその諸形態の一つとしての信用制度とについての完全な無知から生まれるにである。生産手段が資本に転化しなくなれば(このことのうちには私的土地所有の廃止も含まれている)、信用そのものにはもはやなんの意味もないのであって、これはサン・シモン主義者たちでさえも見抜いていたことである。他方、資本主義的生産様式が存続するかぎり、利子生み資本はその諸形態の一つとして存続するのであって、実際にこの生産様式も信用制度の基礎をなしているのである。」(『資本論』大月版⑤P783-784)

ここでマルクス・エンゲルスは、未来社会「結合労働の生産様式」の社会だということを言い、未来社会では「生産手段が資本に転化」しなくなり、資本主義的生産様式が生み出す諸形態の一つである「利子生み資本」も存在しなくなる、つまり、未来社会では「資本」の支配がなくなるということを言っています。このように、マルクス・エンゲルスは未来社会について明確に語っています。

では、〝結合労働の生産様式〟の社会、資本の無い社会はどのように創られるのか

いま見てきたように、「結合労働の生産様式」の社会とは、資産が「資本」としての力をもたない「資本」の無い社会で、労働者階級を中心とする人民が公的存在となった企業と社会を動かす社会です。資本主義的生産様式の社会をそのような社会にするためには、法的に資産がもつ「資本」としての力を剥奪し、企業をそこで働く労働者と地域と国家が管理することが必須条件となります。そのためには、レーニンが言うように、「革命」を政治だけに矮小化することなく、国家全体の「全人民の民主主義的管理を組織することなしには」(*)、ほんとうの〝人民革命〟なしには実現することはできません。その〝人民革命〟の中心にいるのが賃金奴隷から新し社会をつくる能力を持った新しい人に生まれ変わった労働者階級なのです。

だから、資産の「資本」としての力を剥奪することも、企業をそこで働く労働者と地域と国家が管理することもしない中国が科学的社会主義の思想に基づく国家でないことは明らかなのです。

〝人民革命〟を忘れ、戦いの場を政治に矮小化してその戦いを請け負ったのでは、科学的社会主義の党とはいえません。科学的社会主義の党には、上記のことを労働者階級にしっかりと伝え、労働者が企業(職場)でその中心となるための活動を全力で支援する義務があります。

(*)詳しくは、ホームページ4-13「☆レーニンの資本主義観、社会主義経済建設の取り組み、革命論への、反共三文文筆家のような歪曲と嘲笑、これでもコミュニストか」のPDF(P5)を参照して下さい。

 

不破さんのビックリ仰天の「自由の国」の受け売り

志位氏は、『資本論』で未来社会を展望して述べられている文章の中の「自由の国」という言葉を取り出して、──資本主義社会にも〝余暇〟があり「自由の国」があるという、マルクスとエンゲルスが聞いたらビックリ仰天するような、不破さんの珍説(*1)を受け売りして、──「『真の自由の国』とは、自分と社会にとってのあらゆる義務から解放され、完全に自分が主人公になる時間のことです。」と言います。

上記の文章は、『資本論』第3部の第48章で、生まれたばかりの「結合労働の生産様式」の社会は「やはりまだ必然性の国」であり、この「必然性の国」を基礎として、「真の自由の国が始まる」こと、〝共産主義社会のより高度の段階の社会〟が始まることを明らかにした文章です。

 あまりにもばかばかしい話ですが、ちょっと長くなりますが、『資本論』の当該文章が何を言っているか紹介します。なお、不破さんの〝ばかばかしい話〟の詳細については、下記(*1)のページをご覧下さい。

「……しかしまた、一定の時間に、したがってまた一定の剰余労働時間に、どれだけの使用価値が生産されるかは、労働の生産性によって定まる。だから、社会の現実の富も、社会の再生産過程の不断の拡張の可能性も、剰余労働の長さにかかっているのではなく、その生産性にかかっており、それが行なわれるための生産条件が豊富であるか貧弱であるかにかかっているのである。じっさい、自由の国は、窮乏や外的な合目的性に迫られて労働するということがなくなったときに、はじめて始まるのである。つまり、それは、当然のこととして、本来の物質的生産の領域のかなたにあるのである。未開人は、自分の欲望を充たすために、自分の生活を維持し再生産するために、自然と格闘しなければならないが、同じように文明人もそうしなければならないのであり、しかもどんな社会形態のなかでも、考えられるかぎりのどんな生産様式のもとでも、そうしなければならないのである。彼の発達につれて、この自然必然性の国は拡大される。とういのは、欲望が拡大されるからである。しかしまた同時に、この欲望を充たす生産力も拡大される。自由はこの領域のなかではただ次のことにありうるだけである。すなわち、社会化された人間、結合された生産者たち(assoziierten Produzenten)が、盲目的な力によって支配されるように自分たちと自然との物質代謝によって支配されることをやめて、この物質代謝を合理的に規制し自分たちの共同的統制のもとに置くということ、つまり、力の最小の消費によって、自分たちの人間性に最もふさわしく最も適合した条件のもとでこの物質代謝を行うということである。しかし、これはやはりまだ必然性の国である。この国のかなたで、自己目的として認められる人間の力の発展が、真の自由の国が、始まるのであるが、しかし、それはただかの必然性の国をその基礎としてその上にのみ花を開くことができるのである。労働日の短縮こそは根本条件である。」(『資本論』第3巻 大月版 ⑤ P1050~1051)

補足、「自由な時間」についてのマルクスの考え

マルクスは『剰余価値学説史』(大月文庫版⑧P43)で、未来社会の「自由な時間、自由に利用できる時間」の構成部分として、労働による生産物の享受のための時間と自由な活動のための時間とをあげており、社会が進めば進むほど「労働時間そのもの」が「より自由な性格をもつように」なり、「高度な質」をもつた時間となることを述べ、「労働」と「自由な活動」とを対立した概念として捉えてなどいません。だから、マルクスは『ゴータ綱領批判』の中でも、「共産主義社会のより高度の段階の社会」では、「労働がたんに生活のための手段であるだけでなく、生活にとってまっさきに必要なこととな」ることを述べ、未来社会では労働が「生活」そのもの、人生そのものであることを明らかにしています。(*2)

(*1)詳しくは、ホームページAZ-2-2「『資本論』刊行150年にかこつけてマルクスを否定する不破哲三氏(その2)」及びホームページ4-16「☆不破さんは、エンゲルスには「過渡期論」が無いと言い、『国家と革命』と『空想から科学へ』は「マルクスの未来社会像の核心」を欠いていると誹謗・中傷する」を参照して下さい。

(*2)詳しくは、ホームページAZ-3-5「エセ「マルクス主義」者の『資本論』解説(その5)」のPDF(P36以降)を、是非、お読み下さい。

②第2回連載について

 

科学的社会主義の「ヵ」の字もない志位さんの講義

志位氏は、「赤本」の第2章「どうやって搾取が行われているのか?」の講義で、次のように語ったとのことです。

「かりに搾取が詐欺や盗みなどの不正行為で起こるなら、それを正せば解決します。しかし、価値法則という商品経済の根本法則を少しも損なうことなしに、搾取が行われているとしたらどうなるでしょうか。その根本的解決のためには、資本主義体制そのものを変革するしかなくなるではありませんか。

 こういう意味で、「搾取の秘密」を明らかにし、…(略)…」

「こういう意味で」とはどういう「意味」なのか、青山にはさっぱり分かりませんが、この話を聞いた「共産党」の国会議員や事務局の人たちは、目を丸くして──志位さんは、遂に、やけっぱちになってしまったのか──と心配に思わなかったのでしょうか?

資本主義社会は正しいことをやっている。なのに俺たちは大変な目に遭っている。こんな資本主義の社会はぶっ壊してやれ。俺たちは何だか分からないけど「「搾取」されているんだ。この何だか分からないことこそが「こういう意味で」「搾取の秘密」だ!と志位さんは支離滅裂なことを話したというのです。

 これでは、マルクスもエンゲルスもレーニンも、みんな、志位さんを見捨ててしまうかもしれませが、日本の(エセ)「共産党」の議長ですから、私たち日本の労働者階級は、つき合う以外に道はないのです。そして、志位さんがこんな暴走をするのには、どうも、指南役である不破さんの影響がありそうです。

資本主義社会では、正しことが間違っているように見え、間違っていることが正しいように見えます。人間の労働によって富が創られているのに富が資本家のものとなることが当然のこととして認められています。「搾取」が「詐欺や盗みなど」と違って「不正行為」でないかのように認められ、労働者もそれを認めて働くから資本主義は存続し、「搾取が行われている」としても、そのしくみが分からないから、「その根本的解決のために」「資本主義体制そのものを変革するしか」ないなどとは思わないのです。そして、このペテンを明らかにしたのが、『資本論』第三巻の「第七篇 諸収入とそれらの源泉」「第四八章 三位一体的定式」(大月版⑤P1043~ )です。「三位一体的定式」とマルクス・エンゲルスと不破さんとの関係を見てみましょう。

 

三位一体的定式とマルクス・エンゲルスと不破さん

マルクスは、既に、『資本論』第一部「第六篇 労賃」「第一七章 労働力の価値または価格の労賃への転化」(大月版② P696~ )で、資本家に買われた労働力の価値が、「労働の価格」=「貨幣で表現された労働の価値」として資本主義的生産関係のなかで現わされると、価値の源泉である労働者は、その寄生虫である資本家の価値を創造するための手段のように転倒して見えることを指摘しています。

マルクスは、「第四八章 三位一体的定式」で、資本家に買われた労働力の価値が、「労働の価格」=「貨幣で表現された労働の価値」として資本主義的生産関係のなかで現わされ、そのことを通じて、生産関係の物化と富のいろいろな社会的要素の相互間の独立化と骨化がおこなわれること。そして、その結果、いっさいの内的関連が消し去られた、まちがった外観と偽瞞によって、魔法にかけられ転倒され逆立ちした世界として、資本主義的生産様式の神秘化がおこなわれ、資本─利子、土地─地代、労働─労賃という疎外された不合理な形態である「経済的三位一体」が「定式」として承認されることを解明しました。

ここで『資本論』が訴えていることは、おおむね下記のとおりです。

「三位一体的定式」とは「まちがった外観と偽瞞」の表現であり、同時に「この定式は同時に支配的諸階級の利益にも一致している」認識であり、「三位一体的定式」による資本主義的生産様式の「神秘化」にごまかされてはいけないということ。

資本主義的生産様式においてはじめて、資本も労働も社会から無拘束なものとして現われ、あからさまな暴力による支配から「経済的神秘化」による「まちがった外観と偽瞞」による支配が完成した。その結果、資本主義的生産様式は(資本主義)社会そのものを掘り崩す矛盾を抱えこんでしまった。けれども、それはそれでまた、新しい国民の共同社会への途を開く準備となるということである。

 このことを「現在」に当てはめて変革の立場で「解説」すれば、「資本も労働も社会から無拘束なもの」となった結果、自由に行動する資本のグローバルな活動により産業の空洞化が進み、われわれは今、日本社会そのものの存亡の危機に直面しており、それはそれでまた、新しい国民の共同社会への途を開くエネルギーを蓄え、その準備を整えるということです。

マルクスとエンゲルスは「三位一体的定式」をこのように捉えて資本主義的生産様式の「まちがった外観と偽瞞」を暴露し、告発しているのに、不破さんの著書「『資本論』探求」での「三位一体的定式」の「探求」(?)では、「資本主義社会を支配する神秘化の極致を表現した」などと述べるだけで、「三位一体的定式」の「まちがった外観と偽瞞」の暴露の必要性と重要性の「解説」も「探求」も全くなく、自由に行動する資本のグローバルな活動により日本国と日本の人々が深刻な危機におかれていることへの論及などもちろんありません。(*)

このような不破さんの薫陶を受けた志位さんには、「搾取」が「詐欺や盗みなどの不正行為」と異なり「資本主義社会を支配する神秘化の極致」としてしか捉えることが出来なかったのでしょう。「搾取」を隠蔽する「三位一体的定式」の「まちがった外観と偽瞞」を科学的社会主義の思想を持った人たちが暴露してはじめて、労働者階級は「その根本的解決のためには、資本主義体制そのものを変革するしかな」いと思うことができるのです。

 志位さんの言う「こういう意味で」では「搾取の秘密」は「搾取の秘密」のままです。

(*)詳しくは、ホームページAZ-3-5「エセ「マルクス主義」者の『資本論』解説(その5)」のPDF(P32以降)を、是非、お読み下さい。

 

「労働日」の章で志位さんが話すべきこと

今回の連載で、『資本論』第一部「第三篇 絶対的剰余価値の生産」「第八章 労働日」が取り上げられていますが、全くその内容に触れられていませんので、「労働日」の章で志位さんが話すべきこと、「第八章 労働日」でマルクスが何を言っているのかを、簡単に、見てみましょう。

まずはじめに、マルクスは、「資本は、剰余労働を求めるその無際限な盲目的な衝動、その人狼的渇望をもって、労働日の精神的な最大限度だけでなく、純粋に肉体的な最大限度をも踏み越え」(大月版①P346)て労働日の延長を求めること、「労働力の(=人間の)寿命を問題にしない」(同前P347)こと、「資本は、労働者の健康や寿命には、社会によって顧慮を強制されないかぎり、顧慮を払わない」(同前P353)ことを述べ、社会的強制の必要を指摘します。

そして、「標準労働日の制定は、資本家と労働者との何世紀にもわたる闘争の成果」(P354)であり、1853年に、やっと、児童を含む全ての労働者の労働日が規制されたが、それは「最初の工場法の制定以来、今ではすでに半世紀が流れ去っていた」(同前P387)こと、「半世紀にわたる内乱によって一歩一歩かちとられた」ものであったことを述べ、「標準労働日の創造は、長い期間にわたって資本家階級と労働者階級とのあいだに多かれ少なかれ隠然と行なわれていた内乱の産物なのである」(同前P393)ことを私たちに教えています。

マルクスは、労働者が市場で彼の「労働力」を商品として売るとき、外見上「彼が自由に自分自身を処分」した様に見える契約上の労働時間は、結果的に、「それを売ることを強制されている時間」であること、資本家はあの手この手を使ってその極限を追求してくることを述べ、だから、資本の攻撃にたいする「防衛」のために、「労働者たちは団結しなければならない。そして、彼らは階級として、彼ら自身が資本との自由意志的契約によって自分たちと同族とを死と奴隷状態とに売り渡すことを妨げる一つの国法を、超強力な社会的障害物を、強要しなければならない。」(同前P397)と述べて、「労働日」の章を結んでいます。

このように、マルクスは、資本が、「剰余労働を求めるその無際限な盲目的な衝動」を持っていること、外見上労働者が「自由に自分自身を処分」した様に見える契約上の労働時間は、資本主義的生産様式の社会のもとでは、「それを売ることを強制されている時間」であること、だから、労働者を守る「超強力な社会的障害物を、強要しなければならない」ことを述べています。

しかしそれだけではありません。マルクスは、工場監督官報告書の言葉を借りて、標準労働日の確定、労働時間の短縮が、労働のため以外の自分自身の目的のための時間を与え、「ある精神的なエネルギーを彼ら(労働者)に与え、このエネルギーは、ついには彼らが政治的権力を握ることになるように彼らを導いている」(同前P398)ことを述べ、労働時間短縮のたたかいが資本主義的生産様式の社会を変える上で重要なことを確認しています。

また、マルクスは、労働日の制限についての「超強力な社会的障害物の強要」のもつ意味について、『賃金、価格、利潤』でも、「このように全般的な政治活動が必要であったということこそ、たんなる経済行動のうえでは資本のほうが強いことを立証するものである。」(国民文庫P84)と、資本主義的生産様式の社会での「労働日の制限」と「超強力な社会的障害物の強要」との関係を述べています。

 

「第八章 労働日」の「超強力な社会的障害物」と

不破さんの「社会的ルール」との違い

なお、この「超強力な社会的障害物の強要」に関して、『前衛』(2013年12月号)での、不破さんがおこなった『賃金、価格、利潤』の講義の素晴らしさを礼賛する鼎談で司会役を務めた山口氏(なお、山口氏は「赤本」を「生み出す過程に協力」したとのことです。『赤旗』2025/09/07)は、不破さんの『賃金、価格、利潤』の講義について、次のように述べています。

「(不破さんは──青山が挿入)、資本主義世界でも異常な日本社会の状態を打開して、社会的バリケードをかちとり、「ルールある経済社会」へ道を開いてゆくことこそが、日本の勤労人民の「肉体的および精神的再生」であり、日本社会を健全な経済的発展の軌道に乗せる道なのだということを強調して、講義を終わります。……『賃金、価格および利潤』を読む中で、この呼びかけのところまで現代的には行き着くのだなと思いました」(P99)と。

けれども、待ってください。「ルールある資本主義社会」が「日本社会を健全な経済的発展の軌道に乗せる道」だなどということは、「奴隷制を基礎としながら自由」(『賃金、価格、利潤』同前P54)を保障するのと同じことです。だからマルクスは、『賃金、価格、利潤』で、そんな戦いは「全面的に失敗する」と言っているのです。このように、不破さんの言う「社会的バリケード」とマルクスのいう「超強力な社会的障害物」とでは、その位置づけが180度異なります。

だから、『資本論』の「労働日」の章は、資本の「剰余労働を求めるその無際限な盲目的な衝動、その人狼的渇望」という資本の本質を告発するものですが、私たちがこの章を読んで学ぶべきことは、このような資本の本質をしっかり摑み、労働者の団結の重要性、団結した力で要求を実現することの重要性をしっかり学び、資本の横暴を制限する「超強力な社会的障害物」を勝ち取るとためにたたかうことの重要性を確認するだけでなく、資本主義的な生産関係の社会を変えるためにたたかうことこそが、問題の真の解決の道であることを、しっかりと、確認することなのです。

「第八章 労働日」を「社会的バリケード」についての誤った主張の支援材料にさせてはなりません。

※不破さんの「社会的バリケード」についての謬論の詳しい説明は、ホームページ4-1 「☆不破さんは、『賃金、価格、利潤』の賃金論を「「ルールある経済社会」へ道を開いてゆく」闘いに解消し、『賃金、価格、利潤』を労働運動にとって何の意味もないガラクタの一つに変えてしまった。」及びホームページ4-2「☆不破さんが言うように、「社会的バリケード」をかちとり「ルールある経済社会へ道を開いてゆくことこそが、資本主義社会を健全な経済的発展の軌道に乗せる道だなどと、マルクスは一度も述べたことはない。」を参照して下さい。

③第3回連載について

 

社会主義的用語を羅列させた無内容な「講義」

(Ⅰ)まず、『赤旗』は、「赤本」が「生産力」について強調している点として、概ね次のように述べます。

①生産力は本来、「労働の生産力」である。②資本主義社会では「労働の生産力」が「資本の生産力」として現れ、搾取を強化し、環境を破壊する。③資本主義のもとでの生産力の発展は、未来社会の条件をつくりだし、労働者階級を社会的な生産の担い手として成長・発展させる。④未来社会は、「資本の生産力」から抜け出し、「労働の生産力」を取り戻す。

(Ⅱ)つぎに、『赤旗』は、「労働者階級を、未来社会における発達した生産力の主体的な担い手として成長・発展させ」る理由として、「労働者の集団が生産を担い、『結合された(コンビニーテル)労働者』が巨大な機械の体系を動かすようになるからです」と述べ、「未来社会で生産が資本主義の枠組みから解放されれば、自由な意思で『結合した(アソシィールテ)労働者』が発達した生産力の主体的な担い手としての地位を堂々と占めるでしょう。」と意味不明なことをいいます。

 なぜ意味不明かという、「未来社会で生産が資本主義の枠組みから解放される」ことと「結合した(アソシィールテ)労働者」が存在することと労働者が「生産力の主体的な担い手としての地位を占める」こととは、まったく同じことを別の言葉で言っているだけだからです。

このように、「志位議長の「赤本」講義から」の『赤旗』の解説を見る限り、社会主義的な用語を羅列させて未来社会への道らしきものが述べられていますが、読者が知りたい、読者が知って納得して心を動かすべき〝なぜ〟なのかの欠けた、無内容な文章で紙面が飾られています。

 

第3回連載はなぜこのような内容になるのか((Ⅰ)について)

(Ⅰ)の②に関して

要約した上記の文章で示したように、『赤旗』では、資本主義社会においては「労働の生産力」がなぜ「資本の生産力」として現れるのか、その理由(原因)がさっぱり示されないまま、「未来社会」への無内容な筋書き(空想?夢?)が書かれています。これでは、相当熱烈な信者で無い限り得心できる人などいないでしょう。

必要なのは、資本主義社会では「三位一体的定式」が「定式」として合法化されることによって「労働の生産力」が「資本の生産力」として現れることを明らかにし、「三位一体的定式」の「まちがった外観と偽瞞」をしっかり暴露して、資本主義的生産様式の欺瞞と不合理さを暴露し、「資本」が労働者を搾取し続けるのは、資本主義社会とは、「資本」が休むことなく労働者を搾取して自らを拡大し続けなければ資本主義的生産様式を維持し続けることの出来ない社会であることを明らかにすることです。しかし、この肝心要のことがないのです。これでは、ダメです。

 志位さんも『赤旗』も不破さん同様に、新しい生産様式の社会をつくるうえでの「三位一体的定式」の暴露の重要性も資本主義的生産様式の運動法則(拡大再生産の持つ意味)も十分に理解することができなかってのでしょう。

(Ⅰ)の③に関して

〝資本主義の発展が未来社会の条件をつくりだす〟のはなぜか。そのことを『赤旗』紙上で明らかにすることは、「共産党」が科学的社会主義の党であろうとするならば、最も重要な使命です。

しかし、『赤旗』は、「志位氏は、マルクスは、「工場法の一般化」──「工場法」が産業全体・社会全体に広がることが、新しい社会の形成要素と古い社会の変革契機を成熟させる」という重要な解明を行っていることを詳しくのべ」と述べるだけで、どのように「詳しく」述べたのか、全く分かりません。最も肝心な点が抜けており、『赤旗』の読者に対して失礼です。この『赤旗』の特集は「赤本」を売るためのものだったののでしょうか?仮に、そうであるならば、『赤旗』は完全に間違っています。

「赤本」にどのようなことが書かれているか存じ上げませんが、「科学的社会主義」を不破さんから間違って学んでしまった志位さんなので、「赤本」の読者のためにも、『赤旗』が本来の役割を果たすためにも、マルクスが「第一三章 機械と大工業」で何を言っているのか、ちょっと長くなりますが、説明したいと思います。

 

「第一三章 機械と大工業」でマルクスが言っていること

マルクスは、要旨次のように言っています。

〈工場立法の一般化によって、生産の社会化の進展と資本の集積と工業全体の資本主義化を一般化し、労資の直接の闘争をも一般化する。個々の作業場では均等性、合則性、秩序、節約を強要するが、それは同時に、全体としての資本主義的生産の無政府性と破局、労働の強度、機械と労働者との競争を増大させる。小経営や家内労働の諸部面を破壊することによって、社会機構全体の従来の安全弁をも破壊する。資本の集積と工業全体の資本主義化の結果、社会的生産諸力と社会的結合が高まるとともに、全体としての資本主義的生産の無政府性もあきらかになり階級闘争も激化する。それは、社会的生産諸力と社会的生産を「新たな社会の形成要素」として発展させ、私的資本主義的生産による「生産の無政府性」とその矛盾の現れである恐慌など私的資本主義的生産がもたらす様々な矛盾と労働者階級の運動の前進が「古い社会の変革契機」つまり資本主義社会を社会主義社会に変えるエネルギーとして高まってゆく〉、と。

マルクス・エンゲルスが言っていること(その1)

 社会的生産諸力と社会的生産を発展させるためには私的資本主義的生産という「桎梏」を取り除かなければならない。生産過程の私的資本主義的性格があるから、「全体としての資本主義的生産の無政府性」があり、それが社会的生産諸力の発展の「桎梏」になっている。人間の生活を全面的に支える社会的生産を実現するためには取得の私的資本主義的形態を社会主義的形態に変えなければならない。このマルクスの考えとエンゲルスの考えとは完全に一致しています。

マルクス・エンゲルスが言っていること(その2)

マルクスは「工場立法の一般化」の意義として、工場立法の一般化によって、その条件──「新たな社会の形成要素」と「古い社会の変革契機」──が日々整っていることを述べ、生産の社会的性格と取得の私的資本主義的形態がもたらす様々な矛盾を暴露して労働者階級の運動を前進させなければならないことを、私たちに呼びかけています。

そして、この『資本論』第一部第四篇「第一三章 機械と大工業」は、『資本論』第三部第七篇「第五一章 分配関係と生産関係」の、労働過程がただ人間と自然とのあいだの単なる過程でしかないかぎりでは、労働過程の単純な諸要素は、労働過程のすべての社会的発展形態につねに共通なものである。しかし、この過程の特定の歴史的な形態は、それぞれ、さらにこの過程の物質的な基礎と社会的な形態とを発展させる。ある成熟段階に達すれば、一定の歴史的な形態は脱ぎ捨てられて、より高い形態に席を譲る。このような危機の瞬間が到来したということがわかるのは、一方の分配関係、したがってまたそれに対応する生産関係の特定の歴史的な姿と、他方の生産諸力、その諸能因の生産能力および発展とのあいだの矛盾と対立とが、広さと深さとを増したときである。そうなれば、生産の物質的発展と生産の社会的形態とのあいだに衝突が起きるのである。」(『資本論』第3巻 第2分冊 大月版⑤ P1129)という結びの文章とシームレスに繋がっています。

不破さんの誤りと青山の心配

なお、不破さんはこれらの文章でキーとなる「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」について、『前衛』2014年1月号で、エンゲルスが「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」という形で資本主義の矛盾をとらえることは誤りだという驚くべき発言をして、資本主義の矛盾を「利潤第一主義」に閉じ込め、科学的社会主義の理論の修正を試みています。その不破さんを師と仰ぐ志位さんが「第一三章 機械と大工業」を「赤本」でどのように書き、この講義でどのように「詳しくのべ」たのか心配でなりません。

「第一三章 機械と大工業」を現在の日本に活かす

エンゲルスはザスーリチへの手紙で、「革命的戦術を発見するには、問題となる国の経済的・政治的諸関係にマルクスの歴史理論を適用しさえすればよいのです」と誤解を恐れず言っています。国と国民の運命を左右するまでに拡大した社会的生産と「グローバル経済」のもとでの資本の行動が現在の日本の危機を招いているのです。「第一三章 機械と大工業」はそのことを私たちに教え、その暴露と、その先にある日本の姿を鮮明に示すことを促しているのです。

※なお、「第一三章 機械と大工業」についての詳しい説明は、ホームページAZ-3-1「エセ「マルクス主義」者の『資本論』解説」のPDF(P14以降)及びホームページ4-20「☆「社会変革の主体的条件を探究する」という看板で不破さんが「探究」したものは、唯物史観の否定だった」のPDF(P3以降)を、「資本主義の矛盾」についての詳しい説明は、ホームページ4-9「☆不破さんは、「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」という形で資本主義の矛盾をとらえることは誤りだと、マルクス・エンゲルス・レーニンを否定する。」を、是非、参照して下さい。

 

第3回連載はなぜこのような内容になるのか((Ⅱ)について)

『赤旗』は、「労働者階級を、未来社会における発達した生産力の主体的な担い手として成長・発展させ」るのは「労働者の集団が生産を担い、『結合された(コンビニーテル)労働者』が巨大な機械の体系を動かすようになるからです。」と述べ、下記のような不破さんの誤った主張と瓜二つのことをいいます。

不破さんの誤った主張

志位さんの師匠の不破さんは、「『資本論』探究」という著書の中でマルクスの「1861~1863年草稿」(23冊のノート)を取り上げたところで、「資本主義的生産のもとで形成され発展を遂げた『全体労働者』の態様」が「労働者階級を未来社会の担い手として育成してゆく道」だと言います。(*)

しかし、マルクスがここで「資本主義的生産のもとで形成され発展を遂げた『全体労働者』の態様」とは、資本主義的生産様式の社会の発展がもたらした生産の技術的側面のことであり、「新たな社会の形成要素」の一つであり、資本主義的生産の衣をまとわされた労働者階級の「様態」のことです。彼ら、「労働者階級が生産過程と未来社会の担い手として成長してゆく」ために、まず行わなければならないことは、資本主義的生産の衣をまとった「様態」を否定し脱ぎ捨てる意義を理解し、その道に歩み出すことです。資本主義的生産様式の矛盾とその解決の道を理解して、レーニンの言う、「資本主義廃絶のあらゆる複雑な問題への全国民大衆の、権利を真に同じくした、真に全般的な参加の完全な発展とを結びつける」道を自ら切り開く力、つまり、〝by the people〟の力を労働者階級みずからが育み、「彼ら(労働者階級──青山注)の国事参加を民主主義的に組織する」という〝人民革命〟の思想をしっかり身につけることです。

「労働者階級が生産過程と未来社会の担い手として成長してゆく」ためには、科学的社会主義の思想とそれに基ずく事実の暴露と未来へのしっかりとした展望が必要なのです。

(*)詳しくは、ホームページAZ-3-1「エセ「マルクス主義」者の『資本論』解説」のPDF(P12以降)をご覧下さい。

不破さんの誤った主張の行き着く先

この不破さんの誤った「思想」の行き着く先が『赤旗』で述べられています。

 「未来社会で生産が資本主義の枠組みから解放されれば」と、(「共産党」の「多数者革命」によってかどうか定かではないが)労働者階級は突然「解放され」、その結果、労働者が「自由な意思で『結合した(アソシィールテ)労働者』が発達した生産力の主体的な担い手としての地位を堂々と占めるでしょう。」と、訳の分からないことを『赤旗』は言います。

なぜ、このような訳の分からないことをいうのでしょうか。

 『赤旗』の考えを『赤旗』の気持ちになって、上記の文章に志位さんの師匠である不破さんの先ほど見た考えを加えて補足すると、──これまでの「資本主義的生産のもとで形成され発展を遂げた『全体労働者』の態様」が、「労働者階級を未来社会の担い手として育成してゆく道」となって、「未来社会で生産が資本主義の枠組みから解放され」ると、「自由な意思で『結合した(アソシィールテ)労働者』」が現れ、それが「生産力の主体的な担い手としての地位を堂々と占める」だろう──ということになります。必死に理解しようと努力しても、やはり、私たち凡人には理解できず、ましてや、関心のない方なら、〝何言ってんの〟という感にではないでしょうか。

 なお、「自由な意思で『結合した(アソシィールテ)労働者』」と「発達した生産力の主体的な担い手としての地位を堂々と占め」た労働者とは同義語で同義反復であることは先に申し上げましたが、この「講義」の紹介では同義反復で問題の〝一件落着〟がはかられるのは珍しいことではありません。

これが、志位さんや不破さんの「社会主義社会・共産主義社会」への道です。

 青山は、「未来社会」についてマルクスの言葉をちりばめて──「未来社会」とは資本主義社会にもある「余暇時間」のことだなどというのではなく──今回のように、曲がりなりにも、正面から論じる「共産党」を、久しく、見たことがありませんでした。このように「未来社会」について論じることは、現在の「共産党」が抱える問題を明らかにしてくれるので、非常に良いことです。

しかし、述べられていることの細かい間違いは脇に置いて、上記の「共産党」の考えには、なぜ「労働者階級が未来社会の担い手として成長していくのか」、「未来社会で生産が資本主義の枠組みから解放される」とはどのような状態なのか、の考察がまったく欠けており、そのことが、「自由な意思で『結合した(アソシィールテ)労働者』」と「発達した生産力の主体的な担い手としての地位を堂々と占めた労働者」とが同義語であるということを『赤旗』が正しく認識することが出来ない理由でもあります。

「非常に良いことです」などと褒めておきながら、こんなことを言っては、身も蓋もないようですが、現在の「共産党」は残念ながら、「未来社会」を構成する基本的な要素をまったく認識できていません。

「未来社会」を構成する基本的な要素とは、第1回連載で見てき『資本論』で述べられている未来社会についてのエッセンス、つまり、結合労働の生産様式の社会は、法的に資産の「資本」としての力を剥奪して、財産に基ずく企業支配(「資本」の支配)が廃止され、「生産手段が資本に転化」しなくなり、したがって「利子生み資本」も存在しなくなり、「資本」そのものが存在しない社会です。労働者階級を中心とする人民が、政治だけでなく、公的存在となった企業と社会を動かす社会です。この社会は、労働者階級の運動(労働運動)を中心とする全人民の運動で、レーニンの言う、国家全体に「全人民の民主主義的管理を組織する」することを通じて実現されるということです。

 このことが分かれば、科学的社会主義の党の運動の進め方も目標も自明なこととなります。

④第4回連載について

「志位議長の「赤本」講義から④」は、これまで見てきたような的外れな「項」と、これは大変よいことですが、不破さんの『賃金、価格、利潤』についての謬論を訂正した「項」との二つの「項」からなっています。まずはじめに不破さんの謬論を訂正した「項」から見ていきましょう。

 

不破さんの『賃金、価格、利潤』の歪曲の訂正

不破さんは、「前衛」2013年12月号(No903)の「座談会」で『賃金、価格、利潤』(マルクスの講演『価値、価格、利潤』の翻訳)を歪曲して、マルクスの賃金闘争論は「どんな情勢の時でも賃金闘争で頑張らなければダメだという立場です。」と「マルクスの賃金闘争論」なるものをでっち上げ、この「座談会」の司会者であり、当時は不破さんの部下であり、今回の「赤本」の編集者と思われる、山口富男氏は、不破さんが2010年から行ったという『賃金、価格、利潤』の講義についての「まとめ」として次のように述べています。(しつこいようですが、「②第2回連載について」で記した文章を再録します。)

「(不破さんは──青山が挿入)、資本主義世界でも異常な日本社会の状態を打開して、社会的バリケードをかちとり、「ルールある経済社会」へ道を開いてゆくことこそが、日本の勤労人民の「肉体的および精神的再生」であり、日本社会を健全な経済的発展の軌道に乗せる道なのだということを強調して、講義を終わります。……『賃金、価格および利潤』を読む中で、この呼びかけのところまで現代的には行き着くのだなと思いました」と。

ここに、『賃金、価格、利潤』の賃金論の歪曲のすべてが表されています。

 不破さんの『賃金、価格、利潤』の学習は、「前衛」No903)で見る限り、「どんな情勢の時でも賃金闘争で頑張らなければダメだ」という「根性論」で始まり、「資本主義発展論」に基づく「ルールある資本主義」への道で終わるという、科学的社会主義の思想の「背教者」としての不破さんらしい講義でした。それは、マルクスが『賃金、価格、利潤』で私たちに教えているものとは、まったく、正反対の内容です。(*)

 なお、不破さんは、2013年10月11日付け『赤旗』座談会「マルクスを読み、いまに生かす」の中の「価値論……戦術提起も」という小見出しの中で、「こういう話(賃金闘争の話)は、『資本論』にもどこにも出ていません」とのデマを話していましたが、「前衛」2013年12月号で、こっそりと訂正していますので、申し添えておきます。

しかし、『赤旗』のこの連載は、不破さんの「どんな情勢の時でも賃金闘争で頑張らなければダメだという立場」から「『ルールある経済社会』へ道を開いてゆくこと」が「現代的」な労働運動の「行き着く」べき先であるとした『賃金、価格、利潤』の賃金論の歪曲の誤り──それが誤りであることは、『賃金、価格、利潤』を読めば、誰でも分かることですが──を認め、『賃金、価格、利潤』には「資本主義的生産を根本から変える社会変革をめざさなければならないということ」が述べられていることを「正直」に述べています。

けれども、残念ながら、この「正直」さは口先だけのもののようです。なぜなら、現在の「共産党」は、「賃金を上げれば経済は成長する」と言って労働者の関心を「賃上げ」等の「日常闘争」に閉じ込め、「経済のグローバル化」が進展するもとでの「資本」による富と雇用の海外輸出がもたらした国内「産業の空洞化」を打開することが資本主義に変わる新しい生産様式の社会への突破口を開くことも理解できず、「資本主義的生産を根本から変える社会変革」への道などまったく示していないのですから。

そういう意味で、あまりにも稚拙な不破さんの『賃金、価格、利潤』の歪曲を訂正したことは賞賛できても、残念ながら、実践のともなわない空念仏の域を出ていないようです。

(*)詳しくは、ホームページ4-1「☆不破さんは、『賃金、価格、利潤』の賃金論を「「ルールある経済社会」へ道を開いてゆく」闘いに解消し、『賃金、価格、利潤』を労働運動にとって何の意味もないガラクタの一つに変えてしまった。」を、是非、お読み下さい。

 

空虚な「産業予備軍」の話し

『赤旗』は、『資本論』第1巻第7編「第23章 資本主義的蓄積の一般的法則」に関し、「産業予備軍」について、「現代日本の非正規ワーカー」も該当すること等を含め、志位氏が「産業予備軍」の意味をるる説明したことを述べ、そのうえで志位議長が「赤本」の講義で「こうした事態を根本的に解決するにはどうしたらいいのでしょうか。…略…資本が社会的規模でつくりだしている問題です。だから労働者階級がそこから抜け出そうと思ったら、資本主義という社会体制の変革にいや応なしに取り組まざるをえなくなります。…略…」と述べたことを記しています。

日本の現実を暴露もせずに、「産業予備軍」とは何かを「講義」するだけで国民が「資本主義という社会体制の変革にいや応なしに取り組まざるをえなくなる」としたら、とっくのむかしに〝ウラー〟と叫ぶだけの「革命」が起きています。こんなことを言っているから、没落しつつある光の見えない「中間層」が排外主義に走り「参政党」が躍進し、高市早苗が日本政治のど真ん中を歩くことを許してしまうのです。この責任の一端は、科学的社会主義の党を僭称して、こんなことを言っているだけの「党」にもあります。

「現代日本の非正規ワーカー」は、資本主義社会で自然に湧いて出たのではありません。「資本」の行動によってつくられるのです。その原因をリアルに暴露し、その解消と資本主義に変わる新しい生産様式の社会との関連を明らかにしなければ、一時的な感情の高ぶりではない、確信に満ちたかたちで国民の心を動かすことはできません。

 「産業予備軍」とは何か、なぜ資本主義社会で発生するのかを抽象的に述べ、そこから一足飛びに志位さんの「赤本」の講義のような、これまた抽象的な、話を聞いて納得する人がいるとしたら、その人はよっぽど頭の中が空っぽな人でしょう。『赤旗』に書かれていることくらいの内容なら、「赤本」なるものを与えられれば、「共産党」の「議長」でなくても、科学的社会主義についてのなんの知識のない人でも、誰でも話すことができるでしょう。

 

「現代日本の非正規ワーカー」は、どのようにして生まれたのか

商品とその代金だけが国と国との間を行き交う、いわゆる、「経済の国際化」の時期には、国内で生産した製品を海外へ輸出するという〝輸出中心の一本足打法〟により資本は大きな利益を得て、国内の設備投資と雇用を増やし、国内経済を拡大・発展させ、労働者階級もその利益のおこぼれの一部を享受することができ、「一億総中流時代」とも「資本主義の黄金時代」とも言われる一時期を出現させることができました。この時期には、労働者は、ウラーと叫ぶように、「賃金を上げろ」と言って闘うだけで、一定の生活改善を図ることができました。

しかし、「資本」と供給チェーンが世界中に分散し絡み合う「経済のグローバル化」が進展するなかで、日本においては、95年には、富の流出・雇用の流出・市場の収縮・社会の収縮という「産業の空洞化」の影響が誰の目にも明らかになり、1995年以降、国内の設備投資は低迷し、GDPは伸びず、雇用の需給が変化して資本に有利になり、労使の力関係が変わり、輸出拡大を口実に賃金は抑制され、現在に至るまで労働者の賃金は横ばいとなり、戦後最長の「好景気」と言われる時にも、資本主義的生産様式が本来持っているはずの「好景気」の時の労働者の「いっときの生活改善」という「資本」の利益のおこぼれの享受すら受けることが出来なくなり、非正規雇用は激増し、長く続く国民生活の低迷と国の社会保障基盤の掘り崩しが本格的に始まります。

なお、『赤旗』や『前衛』にも登場したことのある故大瀧雅之東大教授も、岩波新書『平成不況の本質』で、「有効需要の不足は、国内投資が対外直接投資に呆れるほどの速度で代替されているからである」と述べ、「産業の空洞化が著しく進んだ時期」、「日本は失業と利潤を輸入し、雇用機会と資本を輸出していたわけである」と言い、〝産業の空洞化〟により国内設備投資が減り労働需給が資本優位になったことが労働条件の悪化をもたらしたことを指摘していまが、不破さんと志位さんに牛耳られている「共産党」は、今日に至るも、〝東風馬耳〟を貫き通しています。

それもそのはずです。「志位議長」が「志位委員長」だったころ、志位さんは「BS日テレ」の「深層NEWS」という番組で、「なぜ空洞化するのかというと、日本の国内の需要が冷えているからですよ。だから外に出て行っちゃう。だから国内の需要──内需をよくする対策をやることが、空洞化対策にもつながると思っています。」(2017年10月16日)と、2016年の米国大統領選挙でのサンダース氏の資本の海外移転を抑制する法制定の主張(*)を煎じて飲ませてやりたいくらいの、マルクス・エンゲルス・レーニンが聞いたらビックリするような「産業の空洞化」の理由、そして、「産業の空洞化」の基では「絵に書いた餅」に等しい解決策を示して、「財界」を喜ばせているのですから。

志位議長が、いまだにこんな「講義」をして、恥ずかしくもなく堂々と『赤旗』に発表させることができるのは、『資本論』第1巻第7編「第23章 資本主義的蓄積の一般的法則」は読んでも、『資本論』第三巻 第三篇「第一五章」の「資本が外国に送られるとすれば、それは、資本が国内では絶対に使えないからではない。それは、資本が外国ではより高い利潤率で使えるからである。」(大月版④P321)という文章を、いまだに、読んでいないからでしょうか。

「現代日本の非正規ワーカー」が生みだされた主要な原因は、「資本」が富と雇用を海外に輸出した結果、「産業の空洞化」が起きたからです。「産業予備軍」についてあれこれ説明しても、この点をしっかり話さないとすれば、何のための講義なのでしょうか?!

このように、「現代日本の非正規ワーカー」を生みだした真の原因は「資本」の行動にあるのであって、自民党が「新自由政策」を取ったから「現代日本の非正規ワーカー」が生みだされたなどというのは本末転倒です。「共産党」は本末転倒の運動を進めているから、このような「講義」しかできないのでしょうか。残念でしかたがありません。

なお、関連して、どのようなたたかいが、なぜ、〝グローバル資本とのたたかいが万国の労働者を団結させ、世界の新しい未来を拓く〟のかということに関してのの詳しい説明は、ホームページ3-2-2「『2020年綱領』を克服して、共産党よ元気をとりもどせ!!」のPDF(P13)を、是非、ご覧下さい。

(*)民主的社会主義者のバーニー・サンダース氏は2016年の米国大統領選挙の予備選で、「労働者が雇用を失う一方で企業の利潤が拡大するような通商政策を実施したりすべきではない」といい、「雇用を海外に移出し、利益を上げるのではなく、米国内で努力し、投資し、成長するような」企業活動が米国にとって不可欠であることを主張しました。

 

おまけ

「利潤第一主義」に関して

不破さんは、「生産の社会的性格と取得の私的資本主義的形態との矛盾」という形でエンゲルスが資本主義の矛盾をとらえていることは誤りだと言っています。(*)しかし、これまで見てきた資本主義社会自身がつくりだす「新たな社会の形成要素」も「古い社会の変革契機」も「生産の社会的性格と取得の私的資本主義的形態との矛盾」があるから形成され、「生産の社会的性格と取得の私的資本主義的形態との矛盾」があるからこそ、資本主義的生産様式は社会的生産力発展の「桎梏」となるのです。

そして、不破さんは、「生産の社会的性格と取得の私的資本主義的形態との矛盾」を否定した結果、不破さんは資本主義的生産様式の特徴を「資本の『利潤第一主義』」と言いますが、不破さんの〝利潤第一主義〟からは「生産の社会的性格と取得の私的資本主義的形態との矛盾」が排除され、その結果、不破さんの資本主義社会の暴露は不完全なものにならざるをえません。その不破さんの弟子である志位さんの「赤本」講義にもそれは反映されています。このことを念頭に置いておいてこのページも読み進んで下さい。

(*)詳しくは、ホームページ4-9「☆不破さんは、「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」という形で資本主義の矛盾をとらえることは誤りだと、マルクス・エンゲルス・レーニンを否定する。」を参照して下さい。

⑤第5回連載(最終回)について

 

「講義」の内容が元も子もないことを自ら告白した志位議長の講義

特集の「最終回」は、まずはじめに、志位議長の講義の「これまでの叙述」の「まとめ」として語ったこととして、「4点」をあげています。

 まずはじめに、第2回連載で述べたことをまとめて、「搾取が価値法則という商品経済の根本法則を損なうことなしに行われているならば、その根本的解決のためには、資本主義体制そのものを変革するしかなくなります。」といい、これが「搾取の秘密」を明らかにし、「労働者の階級的自覚の土台をつくる偉大な意義をもつ」と、相変わらず訳の分からないことが述べられます。

 以下「3点」についても、それぞれが、「労働者階級は」「自らの成長・発展をかちとっていきます」、「労働者階級を」「成長・発展させます」、「労働者階級の自覚・成長・発展を促します」と、これまた、中身のない「科学的社会主義」的用語(概念・イデア?)らしきものを使って、『赤旗』紙上にいる志位議長と『赤旗』の操り人形のごとき労働者階級は、志位議長と『赤旗』によって、「自覚・成長・発展」させられていきます。用語のニセ「弁証法」的積み重ねとでもいうのでしょうか?

ここで、『赤旗』の文章を前後させて話を進めさせて頂きますが、この「講義」の内容を紹介する文章の最後のほうで、当たり前の考えなのですが、志位さんとしては珍しく正しいことを述べた、「講義」での発言が載っていますので紹介します。

「どんなに資本主義の客観的矛盾が深くなっても、この体制を変革する労働者階級の成長・発展なしに、この体制が「自動崩壊」することは決してありません。」

 なおこの文章は、この「特集」のなかでは、不破さんの『賃金、価格、利潤』の誤った認識(ねつ造?)の訂正に次ぐ、稀有な、正しい考えです。

志位さんがこの「講義」で、このような言葉を発したとき、志位さんは、恥ずかしさと申し訳なさのあまり赤面していたのでしょうか、それとも、かつて東京都三鷹市での国政選挙の街頭演説で「自民党政治を大本から変えるという大目標を背負っている。ただ、今度の選挙でそれを目指すのはちょっと早いですね」(共産党の委員長当時:「日経」記事)と堂々と述べたように、堂々と語っていたのでしょうか。なお、余計なお世話かもしれませんが、「大目標」は「背負」ってはいけません。いつでも、どこででも、常に旗幟鮮明に「掲げ」続け、訴え続けるべきものです。

いままさに、「資本主義の客観的矛盾」はかつてないほど「深く」なっています。それでも、「この体制を変革する労働者階級」が「成長・発展」しない大きな原因の一つは、「科学的社会主義」の「党」を売りにする「共産党」が、この「特集」のような無内容な「講義」等で、党員の心を動かし、労働者の心を動かして、労働者階級の「自覚・成長・発展」が実現できると思っているからです。しかし、現実は、このような元も子もない内容の「講義」をしているから、こんなに「資本主義の客観的矛盾が深くなっても」労働者階級の自覚・成長・発展を助けることができずにいるのです。志位さんが「講義」で珍しく正しいことを述べた志位さんの貴重な言葉は、「講義」の内容が元も子もないものであることを自ら告白しているのです。

マルクスは、『資本論』の序文で「近代社会の経済的運動法則を明らかにすることはこの著作の最終目的でもある、その社会は自然的な発展の諸段階を跳び越えることも法令で取り除くこともできない。しかし、その社会は、分娩の苦痛を短くし緩和することはできるのである。」(大月版『資本論』①(初版序文)P10)と記しています。

 マルクスはここで、科学的社会主義の思想の伝道師たるものはマルクスが『資本論』で明らかにした「近代社会の経済的運動法則」を使って、今ある私たちの「社会」を暴露し、新しい生産様式の社会への「分娩の苦痛を短くし緩和する」ために全力を尽くせ、それが『資本論』を読む意味だ、と言っているのです。

 マルクスは、志位さんのように、『資本論』の研究成果の「表面」の言葉だけを削り取って並べて、〝坊主が天国を語る〟ように結合労働の生産様式の社会を語れなどと言っているのではありません。 

 マルクスは、『資本論』を学ぶとは、『資本論』が明らかにした近代社会の経済的運動法則を使って、今の日本を暴露し、結合労働の生産様式の社会とはどのような社会なのかを明らかにし、そこに至る分娩の苦痛を短くし緩和せよ、と言っているのです。

 

唯物史観への無知をさらけ出した「恐慌=革命」論の濡れぎぬ

『赤旗』は「「恐慌=革命」論を克服したマルクスの新しい視野では、未来社会を形づくる客観的な諸要素の成熟がより根本的な意義をもつことになったのです。」と言い、「マルクス、エンゲルスが「恐慌=革命」論をとっていた時期には、労働者階級をあらかじめ組織して革命を準備するという任務は提起されませんでした。」と、自らは労働者階級・国民の〝後援〟に頼って「多数者革命」を夢想していることを棚に上げて言うのです。

 これらの文章は、現在の「共産党」が唯物史観も人民革命も全く理解していないことを明らかにしています。

不破さんは、二一世紀初頭に、「マルクスが1865年に革命観・資本主義観の大転換をした」との大発見により、このデマを口実として自らの革命観・資本主義観の転換を公言するに至り、エセ「科学的社会主義」者へと完全に転落し、党綱領をガラクタに変えてしまいました。(*)

 しかし、唯物史観に裏打ちされたマルクスとエンゲルスの資本主義観と資本主義社会を変革する革命の意義についての見方は、不破さんのように資本主義に屈服して議会での「共産党」のたたかいに矮小化することなく、一貫しています。その証拠を見てみましょう。

唯物史観の無知

 マルクスとエンゲルスは、「マルクスが革命観・資本主義観の大転換をした」と不破さんいう1865年よりも20年も前の1845年に出版した『ドイツ・イデオロギー』で彼らが到達した歴史観の結論として、次の4点をあげています。

①資本主義が発展すると、「全社会成員の大多数を構成する階級」であり「社会のあらゆる重荷をになわされながらいかなる利益にもあずからず、社会から迫害され他のあらゆる階級と決定的に対立せざるをえない一階級」である労働者階級は「根本的革命の必然性の意識、共産主義的意識」を持つようになり、「この階級の地位を見てとることができれば、この意識が他の諸階級のうちにも形成されうる」。

②資本家階級の「所有から生じる、」「社会的な力は、そのときどきの国家形態のうちに実践的・観念論的に表現される」。だから、資本主義社会を変える「革命的闘争」は資本主義社会を「支配してきた」資本家階級「にほこ先を向け」なければならない。

③「あらゆる従来の革命」は、搾取の問題には「一指もふれられないままで」あったが、「共産主義革命は従来の」搾取の「あり方を槍玉にあげ、」搾取をなくして、「あらゆる階級の支配」を「廃止」し、「階級そのもの」を「廃止」する。「なぜならこの革命を成就」させる労働者階級は、「すでに今日の社会の内部でのあらゆる階級、あらゆる国籍等々の解体の表現」者そのものだからです。

④「この共産主義的意識の大量産出のためにも、また事柄そのものの成就のためにも、人間の大衆的な変化が必要なのであって、このような変化はただなんらかの実践的運動、なんらかの革命のなかでのみ行われうる。したがって革命が必要なのは、支配階級を倒すにはそれ以外に方法がないからというだけではなく、また倒すほうの階級はただ革命のなかでのみ古い垢をわが身から一掃して、社会を新しくつくりうる力量を身につけるようになるからである。」(レキシコン④-[10]P63~P65)

 そしてマルクスは、1847年『哲学の貧困』で、労働運動(科学的社会主義の運動)を「歴史的運動」すなわち「みずから解放の物質的諸条件をつくりだす運動」だと言っています。

なお、「マルクス、エンゲルスが「恐慌=革命」論をとっていた」というデマ・ねつ造については、すでに「①第1回連載について」の「章」の「デマから始まる第1回連載」の「項」で濡れ衣は晴らしてありますが、『共産党宣言』(1848年)で資本主義による「近代的生産諸力」の発展が「もっと全面的な、もっと強大な恐慌」を準備をすることを述べているのは、当時の中央銀行が恐慌のとき自国通貨を防衛することのよって自国通貨の価値を守るという恐慌に火に油を注ぐような政策をとるとともに国家が恐慌を沈静化するような手段をまったく持っていない状況のもとで、まったく正しい見方でした。

マルクスとエンゲルスは、上記のように、『ドイツ・イデオロギー』で、資本主義が発展すると、「未来社会を形づくる客観的な諸要素」が発展し、それに伴って、「あらゆる従来の革命」と違って「あらゆる階級の支配」を「廃止」し、「階級そのもの」を「廃止」する条件が成熟することにより、労働者階級は「根本的革命の必然性の意識、共産主義的意識」を持つようになり、「この階級の地位を見てとることができれば、この意識が他の諸階級のうちにも形成されうる」といいます。

『ドイツ・イデオロギー』の上記の文章には、茶色で挿入した文章は書かれていませんが、『赤旗』と志位さんにマルクスとエンゲルスの思想を理解してもらうために敢えて挿入しました。

 「「未来社会を形づくる客観的な諸要素」の発展」とは、「新たな社会の形成要素」と「古い社会の変革契機」とが発展することで、「社会的生産諸力と社会的生産」の発展と「私的資本主義的生産」の発展との矛盾が発展することです。マルクスとエンゲルスは、「あらゆる従来の」社会と違って資本主義社会には「未来社会を形づくる客観的な諸要素」があり、資本主義の発展とともにそれが発展することを掴んだからこそ、唯物史観を確立することができ、労働者階級が「根本的革命の必然性の意識、共産主義的意識」を持つようになり、「他の諸階級のうちに」「根本的革命の必然性の意識、共産主義的意識」を形成させることができるだろうという確信を持つことができたのです。

 だから、『赤旗』のように、「「恐慌=革命」論を克服した」あとで「未来社会を形づくる客観的な諸要素の成熟がより根本的な意義をもつことになった」などというのは、唯物史観の全体像を全く理解していない証拠です。不破さんのデマに惑わされることなく、しっかり考えながら、マルクス・エンゲルス・レーニンの著作を読んで頂きたいと思います。

「共産主義革命」=人民革命に対する無知

次に、マルクスとエンゲルスは、『ドイツ・イデオロギー』で、資本主義が発展すると、労働者階級は「根本的革命の必然性の意識、共産主義的意識」を持つようになり、搾取をなくして、「あらゆる階級の支配」を「廃止」し、「階級そのもの」を「廃止」するという「共産主義革命」を遂行するなかで「古い垢をわが身から一掃して、社会を新しくつくりうる力量を身につけるようになる」と言い、マルクスは『哲学の貧困』で、労働運動(科学的社会主義の運動)を「歴史的運動」すなわち「みずから解放の物質的諸条件をつくりだす運動」だと言っています。

 『赤旗』は「マルクス、エンゲルスが「恐慌=革命」論をとっていた時期には、労働者階級をあらかじめ組織して革命を準備するという任務は提起させませんでした」と言います。だれが「労働者階級をあらかじめ組織して革命を準備するという任務」を担うのかは不明ですが、上記の文章を見ても分かるように、マルクスとエンゲルスは人民自身が「社会を新しくつくりうる力量を身につけ」て革命を遂行する「共産主義革命」(〝人民革命〟)の思想の持ち主で、現在の「共産党」のように労働者階級・国民の〝後援〟に頼って「共産党」を多数当選させることで「多数者革命」を実現するという本末転倒の「思想」など持っていませんから、労働運動(科学的社会主義の運動)を労働者階級自身が自らの解放の物質的諸条件をつくりだす主体的な運動と捉え、〝革命〟を手配師が企画を実現するために人手を集めるように「労働者階級をあらかじめ組織して」準備するものだなどとは夢にも思わなかったでしょう。

このように、不破さんがでっち上げた「「恐慌=革命」論に悪乗りして、余分なことを言うから、次々とボロを出すことになるのです。『資本論』第一巻には「無知は十分な根拠になる」(大月版①P404、注解P18(101))という言葉がありますが、「ねつ造」を「無知」な人を騙す「根拠」にしてはなりません。

(*)詳しくは、ホームページ3-2-1「『2004年綱領』にみる不破哲三氏の転落の証明」及びホームページ3-1-1「不破さんと志位さんの「共産党100年」史…科学的社会主義の大地に「資本主義発展論」の種を蒔く」を、是非、ご覧下さい。

結びとして訴えたいこと

科学的社会主義の党は旗幟鮮明に未来を示せ

 

現代に生かす『資本論』の読み方

現代に『資本論』を生かす読み方とは、『資本論』で論述されていることが今の日本でどのように現れているかを『資本論』を武器として解明することです。だから、『資本論』を教材とする「講義」は、〝坊主が天国を語る〟ように実態のない「用語」を積み重ねて、『資本論』をもぬけの殻の「資本論」に変えて「解説」することではありません。

なお、志位議長が使った『資本論』がマルクス・エンゲルス版の本物の『資本論』ではなく、不破版エセ「資本論」であるとしたら、志位さんの今回の「講義」の内容にちょうど見合った質のものだったのかもしれませんが、間違って不破版エセ「資本論」を買ってしまった人は、是非、本物の『資本論』を買って読まれることをおすすめします。(*1)

★「未来社会を形づくる客観的な諸要素」、「新たな社会の形成要素」と「古い社会の変革契機」、「社会的生産諸力と社会的生産」の発展と「私的資本主義的生産」の発展との矛盾を掴むことは、歴史をつくる助産師としての科学的社会主義の党にとって不可欠なことです。しかし、残念ながら、私たち国民に希望と活力を与え共に手を携えて未来に向かって進むべき日本共産党は、不破さんによってエセ「共産党」の道を歩まされています。そのために、『赤旗』の志位議長の「講義」の解説には、この肝心要の現在の日本と世界が直面し、また、直面しつつある「未来社会を形づくる客観的な諸要素」についての説明などいっさいありません。

 このことを踏まえて、最後に、『資本論』を読む視点と現代の日本と世界が抱える問題が「未来社会を形づくる客観的な諸要素」とどのような関係にあるのかを、極々簡単に、一緒に見ていきたいと思います。

『資本論』を理解する武器としての弁証法の視点

○資本主義社会は「生産と消費との矛盾」と「社会的生産と私的資本主義的取得との矛盾」という二つの矛盾によって運動し成り立っている

○資本主義社会は「新たな社会の形成要素」と「古い社会の変革契機」によって新しい生産様式の社会にうまれかわる

○これらの視点を踏まえて、現代の日本と世界が抱える問題を念頭に『資本論』を読む

現代の日本と世界が抱える三つの大問題を念頭に『資本論』を読むことが肝心

○「グローバル経済」と資本主義との関係

○地球環境の急速な悪化

○情報技術の急速な発展

その1、「グローバル経済」の基での資本主義の持つ意味

○「グローバル経済」は国内「産業の空洞化」と「資本」の繁栄という形で「社会的生産と私的資本主義的取得との矛盾」を露呈する。

○このことは、その十分な暴露によって「古い社会の変革契機」となり、「グローバル経済」は世界の人民との連帯によって「新たな社会の形成要素」となる。(*2)

その2、「地球環境の急速な悪化」の捉え方と解決への道

○「地球環境の急速な悪化」は拡大し続けることを義務づけられた個別企業の「利潤第一主義」と資本主義的生産様式の基での「社会的生産と私的資本主義的取得との矛盾」との複合作用で起きたものである。

○したがって、「地球環境の急速な悪化」はその十分な暴露によって「古い社会の変革契機」となり、人と自然に優しい「地球環境」は「社会的生産」が「資本」の軛から解放されたとき「新たな社会の形成要素」となる。(*3)

その3、「情報技術の急速な発展」の捉え方と活用の道

○「情報技術の急速な発展」は、未来社会にとって明らかに「新たな社会の形成要素」であるが、労働強化を促す蓋然性が「古い社会の変革契機」ともなる。

○「情報技術の急速な発展」は資本主義的生産様式の基でも個別企業にとっては「有益な存在」として十分機能を果たすことが可能だが、社会全体のスムーズな運営にとって「社会的生産と私的資本主義的取得との矛盾」が障害となり、新しい生産様式の社会でこそ社会をスムーズに動かす強力なパワーとなりうる。(*3)

労働運動(科学的社会主義の運動)に携わる人たちが『資本論』を読むにあたっては、これらの諸点を頭に入れて、

結合労働の生産様式の社会とは、法的に資産の「資本」としての力を剥奪して、財産に基づく企業の支配(「資本」の支配)が廃止され、それにより「生産手段が資本に転化」しなくなり、「利子生み資本」も存在しなくなる、資本のない社会です。それは、労働者階級を中心とする人民が、政治だけでなく、公的存在となった企業と社会を動かす社会です。この社会は、労働者階級の運動(労働運動)を中心とする全人民の運動を通じて、レーニンの言う、国家全体に「全人民の民主主義的管理を組織する」することを通じて実現される〉

という〝未来社会〟のイメージをしっかり持って、『資本論』の学習を通じて資本主義社会のしくみや経済法則をしっかり学ぶなかで未来を開く旗幟鮮明な労働運動の在り方のヒントを得ようとする努力が求められます。

(*1)詳しくは、ホームページAZ-4-1「不破さん監修の「新版『資本論』」の読み方について…『資本論』を革命の武器から改良主義の弁明書に変えさせるな!!」をはじめとする「AZ-4」シリーズを、是非、お読み下さい。

(*2)詳しくは、ホームページ1-4-2「2024年「経団連」ビジョン「FD2040」の告白とウソとタブー(その1)」を、是非、お読み下さい。

(*3)詳しくは、ホームページ1-4-3「2024年「経団連」ビジョン「FD2040」の告白とウソとタブー(その2)」を、是非、お読み下さい。

 

これらを頭に入れて、

科学的社会主義の党がいま示すべき、

経済と企業の運営の仕方について

科学的社会主義の党は旗幟鮮明に未来を示せ‼

これから述べる施策は、生産様式としては資本主義的生産様式のままですが新しい生産様式の社会への転化の萌芽を含んだものです。

施策の概要

★企業の有り余る現預金の活用について

①企業は当面の資金繰り等の必要最小限の現預金を上回る現預金のすべてを一定期間内に国内投資に充てる。未達の企業に対しては未達額を社会に還元する仕組みをつくる。

 なお、財務省の法人企業統計調査によれば、金融保険業除く全産業で資本金10億円以上の企業の2024年度末現在の現預金残高は約80兆円あるとのこと。

★労働者の搾取を伴わない設備投資の在り方について

②利益の全てを労働者に還元して労働者の搾取をなくすことによって、資本主義社会を維持・発展させるうえで宿命であった「生産と消費との矛盾」を解消する。

③そのために、労働者を搾取して大きくなった「資本」で設備投資を増やして生産性を上げることによって社会を豊かに発展させるという「資本」の拡大に頼った設備投資の方法を改め、国が設備投資「国債」を発行してその資金を企業に無利子で融資し、設備投資資金の融資を受けた企業は減価償却費として一定期間をかけて国にその融資額を返済する。

 国が発行した設備投資「国債」は、市場から資金を吸収することによる経済の停滞を避けるため日銀が買い取り、国は企業から返済された資金で日銀から設備投資「国債」を買い取り償却する。

★企業が社会の構成要素としての自覚を高めるために

④「グローバル経済」の基での資本主義的生産の矛盾、資本主義的生産のもとでの地球環境の急速な悪化、そして、情報技術の急速な発展を社会として生かしきれない資本主義的生産の在り方の問題は、資本主義的生産様式が持つ「社会的生産と私的資本主義的取得との矛盾」の現れです。企業には、社会的生産にみあう社会的性格を備えることが求められています。

⑤企業が社会的生産にみあう社会的性格を備えるうえでその基礎となるのは、企業(職場)が民主的になることです。例えば、企業が悪いことをしても内部告発がなければ、どんな優秀な監査役がいたとても、悪事を隠し通すことは可能です。だから、労働者の代表が企業経営に参加し、労働者の地位を高め自由にものの言える企業にすることは、企業が社会的性格を備えるための第一歩です。

 そして、ここで訓練され、鍛えられた労働者階級が新しい生産様式の社会の主役へと成長して行きます。 

科学的社会主義の党は、旗幟鮮明に明日を語れ‼

このように、科学的社会主義の党は、企業の有り余る現預金の活用方策を示し、労働者の搾取を伴わない設備投資の在り方を提起し、企業の社会の構成要素としての自覚の高める第一歩として労働者の代表が企業経営に参加することを求めることによって、労働者階級に勇気と希望と誇りと共感を生みださなければなりません。

なお、志位氏は「講義」の最後に「科学的社会主義と『資本論』の輝きを広い国民に、とりわけ若い世代や労働者に伝えることができれば、日本社会を変革する大きな力になる」と、まったく誤った訴えを行ったとのことです。労働者階級を中心とする全人民に伝えなければならないのは、科学的社会主義の思想と『資本論』を武器として、「資本」の行動を暴露し、今の日本の「新たな社会の形成要素」を具体的に明らかにした旗幟鮮明な旗を示すことです。そのときこそ、科学的社会主義の思想と『資本論』は輝いて見えるのです。志位さんは、残念ながら、徹頭徹尾間違い続けているようです。