資本主義社会と〝災害ユートピア〟
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資本主義社会と〝災害ユートピア〟
なぜ、資本主義は新しい生産の仕方の社会に道を譲らなければならないのか
★今ある資本主義社会の「経済的合理性」とそのために「資本主義的生産様式の社会が求めるもの」は、人間をどのような生命体へと導こうとしているのか。野蛮か、それとも、文明か。資本主義的生産様式という自ら作った歴史的構造物によって、私たち人間は、今、試されています。
まずはじめに、私たちが暮らす資本主義社会での「企業の宿命」と資本主義における「経済的合理性」から見ていきましょう。
資本主義のもとでの企業の宿命と経済的合理性
☆経営者(経営者団体)と労働者(労働組合)は富の分配を巡って対立しています。
☆経営者は労働者が効率的に働くことを求め、労働者は人間的に働くことを求めます。
☆経営者は遊園地の乗り物に乗る順番でさえ商品にするなど、あらゆるモノを商品化し、お金がすべての世の中にしていきます。
☆経営者は売れるもの、儲かるものしか作りません。儲からなくて、社会にとって必要なものは予算の範囲内で国家がおこないます。
☆国家・国民は企業無しには存立できませんから、国家は企業が儲かるような施策(援助)を優先的におこないます。国民は企業の利益のトリクルダウンによって、生計を賄います。
☆しかし、経営者は企業が生き残り、同業者との戦いを有利にするために国家・国民を棄てることを厭ません。これは、企業無しには存立できない国家と国民にとって致命的です。
これらの中で国家と国民にとって致命的なのは、産業がなくなることです。だから、青山は「産業の空洞化」を日本経済の一番の問題として警鐘を鳴らし続けているのです。
★これが、資本主義的生産様式の社会である今の日本の経済的合理性そのものです。
資本主義的生産様式の社会が求めるもの
★資本主義的生産様式の社会は私的企業が競争の中で資本を大きくすることを通じて社会を発展させる仕組みの社会です。したがって、資本を大きくするための私的企業間の競争の中で、次のようなことが強制又は促進されます。
☆企業の経費の徹底的な縮減。そのための人件費の可能な限りの縮減。
☆企業の商品づくりの徹底的な効率化。そのための人間の労働の部品化。
☆企業家団体による国家と企業の癒着。その結果、国民のための公共財の圧迫。
☆儲けを求めての企業の国際展開。その結果、「産業の空洞化」による国内産業の衰退。
このような「資本」を大きくするための欲求が「今ある日本の経済的合理性」を表面化させます。
資本主義的生産様式の社会の原動力である「資本」が人間にもたらす悲劇
★資本主義的生産様式の社会は、原動力が「資本」であり、「資本」が大きくなることによって社会が発展する仕組みの社会です。それゆえ、資本主義社会は、以下のような悲劇を人間にもたらします。
☆人間が支配するはずの機械に人間が支配される。
☆労働が一つ一つの動作に分解されるだけでなく、労働の価値が労働によって作られたモノの価値からお金の価値に変わる。
☆労働の価値がモノからお金に変わったことによって、労働が社会から遊離し、個々人の自分だけの金儲けのための手段に矮小化されていく。
☆同時に、金儲けのための企業経営が労働者の良心を蝕み、良心を鈍化させるだけでなく、労働者一人ひとりの視野を狭め、社会的生産から疎外され、人間の「工場機械」化が進行する。
☆その結果、国と国民を滅ぼす「産業の空洞化」には無頓着に、「賃金をあげろ」「生活を守れ」と叫ぶだけの人々が作り上げられていく。
☆そして、企業は国家の枠を超えて利益を求め、国家は企業を抱え込むために他国に対して帝国主義的になる。これが、混迷した世界の現状だ。
そんななかで、国民は、労働者は、どこに向かわされるのだろうか。残念ながら、〝万国の労働者団結せよ‼〟という声は、世界のどこからも聞こえてこない。
人間の連帯が、
「資本」の増殖によって社会を発展させる仕組みを覆すことができるか
☆このようになったのは、「資本」の増殖によって社会を発展させる仕組みの社会──「資本」の所有者が労働者を働かせて富を生み出し、その富を「資本」の所有者が搾取して「資本」を増やし、その増えた「資本」を再投資することによって社会を発展させる仕組みの社会──を支配階級が作り上げたからです。この制度を覆すには以下のことが必要です。
★「資本」の所有者が企業を支配し、労働者が創った富を横取りし、労働者を搾取ことを認める制度を破棄する。そのとき、「貨幣資本」は「資本」の機能を喪失し、富の貯蔵手段、価値尺度、交換手段に転化します。
★富と企業の管理は労働者階級を中心とする国民がおこなう。企業の経営は、「資本」家の代理人としての「経営者」の手から、労働者階級を中心とする国民の管理に移されます。それを保障するのが、労働者階級の企業経営への民主的な関与です。
☆マルクスとエンゲルスは、これらを実現させるために、労働者階級の団結を呼びかけ、労働運動で資本家の支配を覆し、結合労働の新しい生産様式の社会を打ち立てること、つまり、〝人民革命〟を呼びかけました。
★歴史のめぐり合わせで、ロシア革命によってたまたま歴史の最先端に立たされ、社会主義社会への道を歩む運命を担わされたロシア革命の指導者レーニンは、マルクスとエンゲルスの〝人民革命〟の思想を受け継ぎ、〝全人民の民主主義的管理を組織すること〟つまり、〝民主主義の完全な発展、すなわち、あらゆる国事への、また資本主義廃絶のあらゆる複雑な問題への全国民大衆の、権利を真に同じくした、真に全般的な参加の完全な発展〟を実現することによって、社会主義社会を実現しようと努めました。
これらのことが可能となるような人びとの連帯は可能なのだろうか。人間は、生き物であるがゆえに利己的な、野蛮な動物的な本能を持っている。その一部をかなぐり捨てることができるのか。
われ亡きあとに洪水はきたれ!
☆資本主義社会は、あらゆるモノを商品化し、競争によって必ず勝者と敗者をつくり、勝者が大きくなることを通じて社会が発展するという、社会と人間にストレスをかけ続けることを通じて社会を維持させる極めて不健全な仕組みの社会です。生き物の宿命である「利己」が矮小化され、それが資本主義的生産様式によって社会に認知され、大手を振って堂々と「利己的な自由」が闊歩する社会です。マーガレット・サッチャーの「社会などというものは存在しない。存在するのは男、女という個人だけだ」という言葉がそのことを象徴しています。
★しかし、その資本主義の矛盾が繕えないところまできています。
◇レーニンが規定した〝帝国主義〟の時代は、資本が国家と一体となって植民地支配を強め、他国を搾取して自国での資本の集積を図る時代で、その国の労働者も、時として、そのおこぼれにあずかることもできました。
◇第二次世界大戦を経て、「社会主義」を標榜する国々への世界の関心が高まり、そのもとで、民族解放・民族独立を求める運動が飛躍的に前進し、資本主義国家がその流れを押しとどめることができなくなると、資本はこれらの「発展途上国」での低賃金を積極的に利用して製品をつくり、これらの国々の労働者を搾取して富を拡大する道を歩み始めます。
◇しかし、こうして始まったグローバル経済は富と雇用をG7といわれる国々から流失させ、国内「産業の空洞化」をもたらし、「資本」と国家及び国民とのあいだの利益の相反を明らかにし、その溝を深めていきます。これは、「資本」が経済を動かす資本主義が生み出す宿命です。
★2016年のトランプ1.0以降、米国が「安全保障」を口実にしながら進めてきた政策は、米国に先端技術と先端産業を集中させるとともに、中間層の就業先である製造業を復活させて「産業の空洞化」を食い止め、「資本」のグローバル展開のもとで拡大した「資本」と国家及び国民との利益の相反を解消するための「利己」的な試みです。バイデンは自国の「資本」を傷つけず、中国を悪者にして、G7の他の諸国の不満を受忍の範囲内に抑えて、この政策の推進を試み、トランプ2.0は、G7の他の諸国のみならず自国の「資本」を傷つけてでもこの政策を完遂しようと、剛腕を振るい続けてます。
★資本主義的生産様式のもとでのグローバル経済の進展は、必然的に、「先進」資本主義諸国に「産業の空洞化」と脆弱な雇用、そして社会基盤の劣化をもたらし、「産業の空洞化」したこれらの国がこの危機を乗り切るためには、いま米国が進めている政策を成就させて、搾取の仕組みを一国が独り占めすること以外に他に道はありません。だから、科学的社会主義の思想にもとづく労働者階級の国際連帯の思想が影を潜めているいま、排外主義(極右思想)が市民権を得るのは必然なのです。
◆しかし、米国で特別利潤を得ることのできる先端の製造業以外の「オールド製造業」を復活させるためには、低賃金で働く移民を大量に受け入れて米国内での搾取の条件を整えるか、情報技術を使って市場を支配したりして莫大な利益を得ている企業や特別利潤を得ることのできる先端の製造業の企業の儲けの一部をこれらの「オールド製造業」にまわすか以外に、トランプ大統領が逆立ちしても、方法はありません。これが、資本主義的生産様式の社会の経済法則です。
☆マルクスは、「われ亡きあとに洪水はきたれ!これが、すべての資本家、すべての資本家国の標語なのである。」(大月版『資本論』① P353)と資本主義の特徴を述べています。
しかし、いま、資本主義的生産様式のもとでの生産のグローバル化が進むなかで、資本家国が「われ亡きあと」と言って歴史の舞台から退席するまえに、資本主義的生産様式の社会の経済法則に則って、先進資本主義国とその国民に解決不能の大「洪水」が押し寄せてきているのです。
※なお、この言葉は、宮廷で宴会やお祭り騒ぎばかりをやっていればその結果はフランスの国債がふえるばかりだという忠告を受けたときに、ポンパドゥール侯夫人が言ったものだといわれています。(大月版『資本論』注解)
資本主義社会と〝災害ユートピア〟
☆私の息子が、まだ小学校にあがる前の、幼年期に、〝(他の)人に良いことをすると、(自分の)心がいい気持ちになる〟という趣旨のことを言ったのを今でも覚えています。
☆理不尽な災害により絶望の淵にいる人々が、その苦難を共有し、助け合い、心を温め合うことを通じて生きる希望と勇気を分かち合う〝災害ユートピア〟は、喰うか喰われるかの生き物の世界で、助け合うことを通じて命を繋いできた人間が心の中に育んできた人と人との温もりと自らの心の温もりとの自然の発露なのでしょう。
★話を社会のあり方の問題に戻すと、青山の尊敬する故大谷禎之介は、マルクスの『経済学批判要綱』を引用して、資本主義的生産様式に変わる新しい社会システムの基本的特徴とその実現の必然性について、次のように述べています。
「それは、「生産手段の共同的な取得〔「所有」ではないことに注目!──引用者(大谷氏のこと──青山)〕と制御との基礎のうえでアソーシエイトしている諸個人」が、「相互のあいだに労働を分配」し、「社会的生産を自分たちの共同の能力として管理」し、自分たちのもとに「包摂」している「アソシエーション」であって、ここでは「諸個人の生産は直接に社会的である」。しかも、このような「アソシエーションはなんら恣意的なもの」、すなわち意識のなかで構想されたものではなく、「交換価値に立脚するブルジョア社会の内部で、そっくりそのままこの社会を爆破するための地雷でもあるような交易諸関係ならびに生産諸関係が生みだされる」のであって、一定の「物質的条件および精神的条件の発展」のもとで必然的に生まれるものなのである。」(大谷禎之介『マルクスの利子生み資本』4のP230)
★「資本主義的生産様式の社会の経済法則」に則った「交易」と「生産」から生み出される先進資本主義国とその国民を襲う矛盾は、トランプ大統領がどんなに必死に悪あがきしても、解決することはできません。「資本主義的生産様式の社会の経済法則」そのものが、先進資本主義国に「産業の空洞化」と中間層の没落をもたらし、米国に見られるような社会の混沌を生み、資本主義社会に埋め込まれた資本主義社会を爆破する「地雷」のようにはたらくのです。
★トランプ大統領がしゃにむに推し進める米国の暴走を契機として、レーニンが規定した〝帝国主義〟の時代を再現させてはなりません。生産が社会化されているにもかかわらず利己主義を基礎とする資本主義的生産様式であるがゆえにもたらされる〝災害〟を克服するために、いま求められているのは、資本主義的生産様式の社会とは真逆の〝一人は万人のために、万人は一人のために〟という理念で表現することのできる〝結合労働の生産様式の社会〟です。
☆この世にない〝ユートピア〟を〝災害〟の時だけの一時的な現象としてではなく、国家と企業の〝全人民の民主主義的管理を組織すること〟を実現することにより、この世にあるものとして実現させることのできる時代が来たのです。
このようなことが可能となるような人びとの連帯が可能であるとあなたが思うならば、そして、あなたが、みんながそのことを当たり前のこととして理解することができるように働きかけようとするなら、あなたは、生き物であるがゆえに利己的な、野蛮な動物的な本能の一部をかなぐり捨てる道に向かって、人類の野蛮から文明への新しい人への脱皮に向かって、確実に第一歩を歩み始めたことになります。こうして、「物質的条件および精神的条件の発展」が保障されます。
社会主義社会ってどんな社会?
☆これは、先日、久しぶりに、歯を食いしばって頑張っている古参の共産党員の方と一杯やったとき、痛切に感じたことがあり、それを踏まえ、急遽追加した、大切〝なおまけ〟です。
★科学的社会主義の思想の信奉者を自認する人に、「社会主義社会とはどのような社会なのですか?」と尋ねると、「未来社会について語ることはできない」などという答えが返ってくることがままあります。
この答えは、半分は正しく、半分は正しくない。そして、科学的社会主義の思想の信奉者を自任する人の答えであるならば、それは、まったく間違っているといえるでしょう。
☆人間を卑しくする資本主義的生産様式の社会を改めて社会主義社会を創ろうとする者にとって、資本主義社会と社会主義社会の違いを明らかにすることは、一丁目一番地の課題であり、新しい社会を創る運動の原点です。ここから、人民革命の必然性と必要性、そして、そのための運動の組織のしかたが導き出されるのですから。
★社会主義社会とは、資本の所有者が企業と生産物を支配する権利を廃止して、「資本」が大きくなることを通じて経済が発展する仕組みを変え、企業を社会の公器としてそこで働く人たちとその地域、そして、国民全体を豊かにするための手段として活用する仕組みの社会です。そのために、政治はこれらのことを法律で確定させなけれがなりません。そして同時に、企業が社会の公器となるためには、そこで働く人たちと地域と国家が企業の民主的な統治能力をを持ち、それを発揮しなければなりません。これらが社会主義社会の必修の要件です。
科学的社会主義の思想の信奉者を自任する人は、これらのことをしっかりと理解していなければならないでしょう。
☆しかし、日本が社会主義社会になる過程でどのような民主的な政治体制になるのか、どのような民主的な企業統治・経営のシステムになるのか、その子細は知ることは、現在の私たちには、残念ながら、できません。
★革命の助産師としての科学的社会主義の党が日本にまた蘇るためには、このことをしっかり理解しなければなりません。青山は、そのことを、強く望んでいます。