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〈 2024年「経団連」ビジョン「FD2040」の告白とウソとタブー〉(その2)

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〈 2024年「経団連」ビジョン「FD2040」の告白とウソとタブー〉(その2)

はじめに

ページ1-4-2で見てきたこと

私たちは、ページ1-4-2〈 2024年「経団連」ビジョン「FD2040」の告白とウソとタブー〉(その1)で、資本主義的生産様式の基での「経済のグローバル化」が日本経済と国民生活にもたらした深刻な危機に関し、「経団連」ビジョン「FD2040」(書籍版)の第1章「FD2040の全体像」、第2章「マクロ経済運営と2040年の日本経済の姿」、第3章-Ⅰ「全世代型社会保障」及び第3章-Ⅵ「多様な働き方」で述べられた経団連の処方箋を紹介し、その限界を明らかにし、「経済のグローバル化」が資本主義的生産様式の基で私的利益の追求を目的とする私「企業」に対し、社会的存在としての新しい〝企業〟への脱皮を求めていることを明らかにしてきました。

このページで見ていくこと

しかし、今、資本主義的生産様式に変わる新しい生産の仕方の社会を求めているのは、「経済のグローバル化」だけではありません。「経団連」は21世紀の課題にビジョン「FD2040」でどのように応えようとしているのか。①「気候変動問題や生態系崩壊のリスク」と資本主義的生産様式との関係について、②「社会のシームレスなDX化」と資本主義的生産様式との関係について、明らかにし、「FD2040」の「施策」の「画餅」性について、みなさんと一緒に、見ていきます。

☆そして、最後に「おまけ」として、「科学技術立国」と「防衛」へのお金の使い方について一緒に考えます。

さあ、このページのスタートです。熟読し、考えて下さい。

Ⅰ、「環境と経済の好循環」に不向きな資本主義的生産様式

「FD2040」(書籍版)は、第3章-Ⅱ「環境・エネルギー」で「我々は今、深刻化する気候変動問題や生態系崩壊のリスクに直面している」(P59)と述べ、その解決のため、「2040年に向けて、官民で危機感を共有しつつ、グリーントランスフォーメーション(GX)、サーキュラーエコノミー(CE)、ネイチャーポジティブ(NP)を成長戦略として一体的に推進し、「環境と経済の好循環」を創出する」(P60)と言います。

 ここで述べられている「施策」から、私たちは、何を見ることができるのか。

 

「GXの推進」に不向きな資本主義的生産様式

「FD2040」(書籍版)は、「施策」の「1GXの推進」で次のように述べて、資本主義的生産様式の社会でのCNの実現の困難さを、極めて正直に、告白しています。

わが国をはじめ多くの先進諸国が2050年CNの実現を目指している。今日、米国、欧州等において、急ピッチに脱炭素の実現を図る動きへの反動が一部に見られるものの、気候変動問題は紛れもない科学的事実であり、長期的な視点に立って、CN実現への取り組みを継続していく必要がある。CNは現存する技術だけでは到底実現できず、様々な革新的な技術開発とその社会実装が必要であり、技術的にも経済的にも、極めてチャレンジングな課題である。加えて、その過程において、追加的なコスト負担や産業構造の転換等を伴うことから、国民の理解や行動変容も重要である。2050年CNへの挑戦を、単に日本経済の重石とすることなく、投資を加速し産業競争力を強化することなど、将来に向けた成長戦略としていく観点から、経済社会全体の変革であるGXの実現が不可欠である。(P64)これらのGX実現に向けた必要投資額は莫大なものとなる。前述のGX提言(2022年の経団連提言─青山)では、2050年CN実現に向けて、累計400兆円程度の投資が必要と試算した。…(略)…政府は2040年に向けて、重点分野ににおいて、戦略的投資促進策を継続すべきである。(P65)

この文章で述べられていることを資本主義的生産様式の社会で実現することが、いかに困難であるかを理解するために、まずはじめに、資本主義社会の主役である私「企業」とその「株主」の主な行動原理を見ておきましょう。

資本主義「企業」の一般的な行動原理…競争相手に勝って資本を大きくする

資本を大きくするために

儲かるか、儲からないか、が一義的な判断基準

当面の利益を強く求める

一円でも多く儲けることを目指す

競争相手に勝つために

相手を利するような情報を秘匿する

競争相手とは基本的に敵対し合っている

労働者いじめ等、利益が一致するときには談合する

資本主義企業を形式的支配している鉄火場(株式市場)の参加者の一般的な行動原理

鉄火場で儲けるために

株主資本利益率の不断の向上を求める

配当の増額を求める

自社株買いを求める

「米国、欧州等において、急ピッチに脱炭素の実現を図る動きへの反動が一部に見られる」のは、「脱炭素の実現」が悪いことだからではなく「一円でも多く儲け」たいからです。

 「一円でも多く儲け」るために、海外に富と雇用を持ち出して「産業の空洞化」をつくり、日本経済の衰退と国民生活の劣化を招いた私「企業」が、海のものとも山のものともつかぬ「革新的な技術開発」や海のものとも山のものともつかぬ「その社会実装」など、お国に〝おんぶに抱っこ〟をしてもらわなければ、「投資を加速し産業競争力を強化する」ためであろうと、おこなうはずがありません。

「われ亡きあとに洪水はきたれ!これが、すべての資本家、すべての資本家国の標語なのである。」(大月版『資本論』① P353)*という資本主義のもとで、目先の利益を求めることを最優先とする私「企業」とその取り巻き連中にとって、「GX製品は、排出削減コストの転嫁等により、従来製品よりも価格が高くなる傾向があるが、多くの場合、製品の性能は変わらない。」(P69)という「GXの推進」は、現実離れしたした課題なのです。そして、同時に、資本が大きくなることによって経済が発展するという資本主義的生産様式のもとでは、このような私「企業」の出費は単に「日本経済の重石」となるだけです。

「施策ⅠGXの推進」が実行に移されるためには、①私的利益を追求する私「企業」ではなく社会的責任を果たす社会的存在として「企業」と、②社会に奉仕することを目的とする国家とによる緻密な連携に基づく「戦略的投資促進策」の推進が不可欠です。

科学的社会主義の党を標榜する党はそのことを徹底的に国民に明らかにし、強く国民に訴えなければなりません。そして、資本主義的生産様式のもとでも、私「企業」に必要な役割を果たさせるような強制力を持った「戦略的投資促進策」を実行することが不可欠であることを、これまた強く、国民に訴えなければなりません。

 このように、「GXの推進」には、不向きな資本主義的生産様式に代わって、労働者階級を中心とする国民がコントロールする社会的存在としての社会的「企業」と社会に奉仕することを目的とする国家からなる新しい生産の仕組みが求められています。

*「この言葉は、宮廷で宴会やお祭り騒ぎばかりをやっていればその結果はフランスの国債がふえるばかりだという忠告を受けたときに、ポンパドゥール侯夫人が言ったものだといわれている。」(大月版『資本論』注解P15(79))

 

「CEへの移行」に不向きな資本主義的生産様式

「FD2040」(書籍版)は、資源の価値を最大限に引き出して有効活用するCEは、2040年の未来社会へ向かうなかで、持続的な成長や競争力強化、資源の安定調達リスクの克服といった観点からも実現すべき価値軸と言える。(P83)とその意義を認め、「CEへの移行」に向けて、企業や業種の垣根を越えたバリューチェーン全体で連携し、経済活動の土台である資源調達や生産・消費のあり方を変革していくことが新たな課題である。(P79)と社会主義者の書いた文章かと見紛うような記述がされています。

 そして、「企業や業種の垣根を越えた」シームレスな経済連携について、質・量両面における再生材の供給体制を構築するうえでは、…(略)…、関係事業者間での連携を図ることの必要性(P80)と、CEへの移行に向けては、研究開発や製品・サービスの提供に取り組む事業者が、企業や業種の垣根を越えて取り組むこと(P81)の重要性が述べられるとともに、私「企業」間には「競争領域協調領域」があり、私「企業」独自の「機密情報」がある(P81)ことも述べられています。

このように、「FD2040」も認めるように、「CEへの移行」のためには「企業や業種の垣根を越えたバリューチェーン全体で連携し、経済活動の土台である資源調達や生産・消費のあり方を変革していく」という豊かな社会づくりのためのすべての構成員の社会的な連帯が求められていますが、私「企業」にとっては儲けのための「協調領域」はあっても他者を利する可能性のある「機密情報」の開示などありえず、企業間の連携も社会と企業との連携も〝設けるための手段〟としてあるだけで、私「企業」間の「競争」で成り立っている資本主義的生産様式は「CEへの移行」にはまったく不向きな社会システムです。加えて、CEビジネスへの取り組みは、現状においてコスト高にならざるを得ず、短期的には必ずしも企業収益・消費者便益につながらないとの指摘もある。(P83)というのですから、社会的存在としての社会的「企業」ではない私「企業」が、社会に強制されないかぎり、「CEへの移行」への道を自ら進んで歩むことなど絶対にありえません。

なお、「3CEへの移行」の執筆者が、考える能力のある人であるならば、数年後には、立派な社会主義者となって世に出ることを期待したい。

 

「NPの推進」に不向きな資本主義的生産様式

「FD2040」(書籍版)は、生物多様性・自然資本の保全・回復への取り組みであるネイチャーポジティブ(NP)の推進には、自然関連情報の把握取り組み効果の測定が極めて重要である。(P83-84)と述べ、自然関連情報の把握の内容としてグローバルなバリューチェーン全体における生物多様性・自然資本への依存と影響の把握(P84)を上げています。そして、とりわけ、気候変動対策と生物多様性保全活動との両立、統合的な取り組みを推進する際には、多数の関係者が同一のデータを用いて議論を深め、具体策を検討する必要がある(P85)とし、そのための「国際的に比較可能な分かりやすい評価手法」の確立を求めています。

 そして最後に、「FD2040」(書籍版)は、「NPの推進」のために、日本企業に対し「バリューチェーン全体を通じた保全効果の向上を図る」ことを求めるとともに、今後の生物多様性保全活動の推進には社会のあらゆる主体の参画を当然のこととしていく必要がある。そのためにも、政府が保全活動に関する知見とノウハウを幅広く共有することを支援するとともに、多様な主体の参画・連携促進等に取り組むことが望ましい(P87)と希望(夢?)を述べています。

「FD2040」(書籍版)は、現状について、上記のように、「NPの推進」のためには自然関連情報の把握取り組み効果の測定が極めて重要であり、多数の関係者が同一のデータを用いて議論を深め、具体策を検討する必要があるが、現在は、そのための国際的に比較可能な分かりやすい評価手法の確立を求めているという、まことにお粗末な段階であることを認めています。

 このような現状でも、「FD2040」は前に進まなければなりません。そのために、「FD2040」は日本企業に対し、バリューチェーン全体を通じた保全効果の向上を図ることを求めていますが、言わずもがなですが、「NPの推進」とは、生物多様性・自然環境の破壊を食い止め、回復させることです。だから、まず第一に、〈「GXの推進」に不向きな資本主義的生産様式〉の項で見たように、私「企業」による〝資本主義企業の一般的な行動原理〟に基づいて個々バラバラに好き勝手なことを行う生物多様性・自然環境(森林、土壌、水、大気、生物資源など)の破壊を食い止めるためには、そのための十分な規制を国(社会)が行い、私「企業」に社会的責任を十分認識させなければなりません。そうしてはじめて、私「企業」は「バリューチェーン全体を通じた保全効果の向上を図る」ための活動に参加するスタートラインにつくことができます。資本主義的生産様式の基で「私」を捨てることのできない私「企業」であっても、「私」を抑制させなければなりません。

 そして、生物多様性・自然環境を回復させることは、一般的には、負担だけが増える複合的な作業です。だから、「FD2040」は、「多様な主体の参画・連携促進等に取り組むことが望ましい」と、いとも簡単に言いますが、その社会的な意義を国、地域、企業等が共通認識として持ち、一丸となってシームレスに取り組むことによってのみ実現させることができる事業です。

このように、資本主義的生産様式にとって、「GXの推進」も「CEへの移行」も「NPの推進」もまったく不向きな分野ですが、21世紀は私たちにその力強い推進を求めています。だから、経団連も取りあげざるを得ませんでした。しかし、これまで見てきたように、資本主義的生産様式の推進者である経団連には、隔靴掻痒のことしか述べることができませんでした。共産党が科学的社会主義の思想を捨てたかに見え、右派政党が乱立する混沌とした世の中で、このことをしっかり伝えることのできる新しい人たちの大量出現が、今、求められています。

Ⅱ、「社会のシームレスなDX化」に不向きな資本主義的生産様式

 

資本主義的生産様式の特質を忘れた未来社会像

「FD2040」(書籍版)は、第3章-Ⅲ「地域経済社会」の「施策」の「2デジタル技術の徹底活用」で、DXに関し、本章の施策1で示した地域生活圏をはじめ、あらゆる圏域*における地域課題の解決の鍵を握るのがデジタル技術の徹底活用である 」(P109)として、①「行政DXによて公共サービスの効率化を図ること」と②「AIやロボットなどのデジタル技術の社会実装によって、各分野におけるDXを推進していく必要」(P110)について述べています。そして、②の結果として、生産性の向上や人手不足への対応はもとより、農林水産や観光、エネルギーといった各地域の地域資源の最大限の活用、医療・介護、教育サービスの質の向上、防災・減災に向けた取り組みのさらなる充実、スタートアップや中小企業が活躍できる地域のエコシステムの構築が期待できる。(P110)といいます。

 そして、地域の特性を活かしたまちづくりを行うためには、人口・産業構造の変化やインフラ施設の老朽化の状況等を客観的に分析し、エビデンスに基づいた議論を行うことが不可欠であり、すでに政府は基礎自治体に対して、「地域の未来予測」の作成を促している(P111)といい、地域経済の縮小を回避する方策として、道州圏域レベルで地域資源を最大限活かした産業を育成することで、地域への投資拡大・雇用創出を行い、競争力の強化を図っていくことが肝要である。したがって、道州圏域ごとの独自ビジョンの策定にあたっては、産学官連携により、圏域ごとに地域資源を活かした産業を特定し、地域振興の担い手となる人材育成や教育を振興していく観点が不可欠である(P113)ことを述べ、「農業」について、生産から加工・流通・小売・消費・輸出に至るフードバリューチェーンを通じて、農業と食料が一体的に付加価値を向上させることも重要である。中長期的には、各段階におけるデータの連携、利活用によって、食料の需給・価格動向をリアルタイムに反映した最適な生産と供給を実現することが期待される。(P114)といいます。

*「施策1」は「広域連携の推進」として、日本の国土を八つの「道州圏域」に分け、道州圏域内はハブとなる「中心都市」とその周辺に形成される「地域生活圏」とで構成されるものとしている。

 

DXを本当に生かすことのできる社会とは

AIをはじめとするデジタル技術は、「FD2040」(書籍版)も認めるように、持続可能な社会の実現を支えるインフラとなることが予想され(P138)るだけでなく、新しい生産様式の社会を支えるインフラとなるものです。

 ご承知のとおり、資本主義的生産様式は、個々の私「企業」が競争を通じて「資本」の真の姿と資本主義の法則を貫徹させ、そのことを通じて自らを拡大し、経済を大きくしていく仕組みの不完全な「社会的」生産のしかたです。だから、個々の私「企業」は、デジタル技術の向上が「生産性の向上や人手不足への対応」に寄与するものであるならば先を競って導入します。しかし、個々の私「企業」が求めるのは自らの利益の最大化であって、「生産から加工・流通・小売・消費・輸出に至る」「バリューチェーン」全体を通じて、すべての過程を「一体的に付加価値を向上させること」を通じてバランスのとれた豊かな社会をつくることではありません。だから、DXにより「農林水産や観光、エネルギーといった各地域の地域資源の最大限の活用、医療・介護、教育サービスの質の向上、防災・減災に向けた取り組みのさらなる充実、スタートアップや中小企業が活躍できる地域のエコシステムの構築」が技術的に可能となっても、個々の私「企業」の集合体である資本主義社会では、その実現は不可能です。なぜなら、私「企業」が「一体的に付加価値を向上させること」に無関心であるだけでなく、資本主義的生産様式の基で、「社会的」生産の実現を基礎に置かない私「企業」が「一体的に付加価値を向上させること」など、最初に見た「資本主義「企業」の一般的な行動原理」「資本主義企業を形式的支配している鉄火場(株式市場)の参加者の一般的な行動原理」からして、不可能だからです。

これらをスムーズに実現させるためには、個々の私「企業」が「私」を捨て、社会的存在としての「企業」に生まれ変わり、社会が、マルクスの言う〝結合労働の生産様式の社会〟、つまり、資本主義的生産様式のもとで非民主的な不完全な「社会的労働」を強いられている労働者階級が、本当に、社会の主人公として社会化された人間、社会と結合された生産者たち(assoziierten Produzenten)となって本当の社会的労働の担い手となり、社会全体が彼らを中心とする全人民の民主主義によって運営されるような社会になる必要があります。

こうしてはじめて、「FD2040」が「農業」について、「中長期的には、各段階におけるデータの連携、利活用によって、食料の需給・価格動向をリアルタイムに反映した最適な生産と供給を実現することが期待される」と述べていることが全産業で実現し、AIをはじめとするデジタル技術が社会を支えるインフラとなってスマートな社会が実現するのです。

 

「FD2040」が述べている至極もっともなことは

どうしたら実現できるのか

なお、「FD2040」(書籍版)は、「すでに政府は基礎自治体に対して、「地域の未来予測」の作成を促している」といい、「地域の特性を活かしたまちづくりを行うためには、人口・産業構造の変化やインフラ施設の老朽化の状況等を客観的に分析し、エビデンスに基づいた議論を行うことが不可欠であり」、「道州圏域ごとの独自ビジョンの策定にあたっては、産学官連携により、圏域ごとに地域資源を活かした産業を特定し、地域振興の担い手となる人材育成や教育を振興していく観点が不可欠である」といい、「道州圏域レベルで地域資源を最大限活かした産業を育成することで、地域への投資拡大・雇用創出を行い、競争力の強化を図っていくことが肝要である」と至極もっともなことを言います。

しかし、「肝要である」という、「産業を育成すること」も「地域への投資拡大」や「雇用創出」も、個々の私「企業」の利益のための支援をする「道州圏域庁」(仮称)と個々の私「企業」の利益の拡大をめざす「各地経済団体」が、どんなに真面目に「エビデンスに基づいた議論」を行っても、個々の私「企業」を神聖で不可侵なものと認める資本主義的生産様式のもとでは、どんなに立派な絵を描いても、基礎自治体が描く「地域の未来予測」はただの願望でしかありえません。

 個々の私「企業」の神聖不可侵性は打破されなければなりません。「FD2040」が述べている至極もっともな社会は、資本主義的生産様式が克服された先にあるのです。

おまけ

「科学技術立国」と「防衛」へのお金の使い方について

 

「科学技術立国」のためのお金の使い方

「FD2040」(書籍版)は、第3章-Ⅴ「教育・研究」の「現状認識」の「1日本の研究力の低下と政府研究開発投資の低迷」の「項」で、日本の科学研究力の質について、もはや世界トップレベルであるとは到底言い難い状況と評価されている。FD2040が掲げる「科学技術立国」を実現するためには、研究力を抜本的に強化し、こうした傾向を反転させなければならない。

 日本の研究力が低下したことには様々な原因が指摘されているが、その大きな要因の一つとして、公的財源の不足が挙げられる。(P155)と述べ、政府による大学や研究者への支援が低下・横ばいで推移するなかで、研究者の本業である研究に割ける時間も減少している。(P155)ことを指摘し、大学等教員の研究活動時間割合の低下の原因について種々指摘したうえで、高いレベルの研究成果を生み出すためには、研究者に十分な研究時間を与えなければならず、その対応が急務となっている。(P156)と断言し、「公的財源の不足」と「大学等教員の研究活動時間割合の低下」を正しく指摘しています

そして、これらの解決策として、「施策」の「1大学の研究力の抜本強化」の「項」で、「研究力の強化は不可欠である」として、わが国の研究力の低下は著しいことから、施策のあり方を根本的かつ早急に変革しなければならない状況にある。目指すべき方向性は、第3章-Ⅳで論じた通り、従来の「選択と集中」から「戦略と創発」への転換である。

 この「創発」においては、基礎研究が極めて重要であり、大学が主たる役割を担っている。(P163)と言い、大学の研究力の「高さの引き上げと視野の拡大」のためには「政府による支援が欠かせない」と述べ、性急な実利の追求を戒め、大学における「基礎研究」の重要性を確認します。

 続けて、「FD2040」(書籍版)は、大学の研究力の「視野の拡大」について、これまでの「選択と集中」を転換し、科研費については、早期に倍増させ、十分な研究資金を研究者に広く展開していくことが求められる。同時に、国立大学法人運営費交付金等の基礎的経費を拡充することで、研究環境を整備し、研究時間の確保を進める必要がある。(P164)と述べるとともに、大学がより自由度を持って活動できる体制も必要となる。(P165)と断言します。

この「FD2040」(書籍版)が示した「科学技術立国」の考えは、大学を企業の目先の利益のためだけに利用する浅薄な「産学協同」を進めてきたこれまでの文部・科学技術行政を真っ向から否定し、その転換を迫るものです。

学技術の振興は、新しい可能性を発見し、それを実現し、人間と地球の豊かな発展に寄与するものです。だから、「選択と集中」などという当面の目的を達成するための〝ケチケチ運動〟の戦略によって実現できるものではありません。人間と地球の豊かな発展に寄与する科学技術は、あらゆる事象を一つ一つ地道に探究するなかで必然や偶然により得られた様々な成果の、これまた必然や偶然の何百通りもの新しい組み合わせの試行錯誤の連鎖を通じて作り上げられた技術の、集大成として生まれるのです。だから、「選択と集中」などという〝ケチケチ運動〟をおこなっていたのでは、科学技術の発展の基礎そのものが築けず、劣後していく以外に道はないのです。

だから、敢えて、おおざっぱに言えば、予算も「戦略と創発」の観点から、「早期に倍増」というような「腰だめ」の数字でも良いのです。

 

「防衛」のためのお金の使い方

「軍事」と平和を考えると、次のような特徴がある。

①「科学技術」が「人間と地球の豊かな発展に寄与する」という人類と地球にとってポジティブな役割を果たすのに対し、「防衛」という名の「軍事」は、人殺しを含め、あらゆるものを破壊するというネガティブな役割を果たす以外にどのような役割もない。

②「軍事」で相手国をねじ伏せて平和を築こうとすれば、無限の軍拡競争に陥る以外に道はない。

③平和は、相手国との経済的・文化的・人的な結びつきに基づく信頼関係と自制心によって成り立っている。だから、平和のために、不信に立脚し無限の軍拡競争へと通じる「軍事」に力点を置くより、経済的・文化的・人的な結びつきを強め信頼関係を深めることが重要である。

これらを踏まえ「防衛」を考えると、必要最小限の〝自国の防衛〟のための「選択と集中」という〝ケチケチ運動〟の戦略こそが最適であり、「防衛」予算の算定にあたっては、厳密で厳しい査定が求められることになると思われる。

このような観点から、翻って日本の「防衛」の今について見てみましょう。

 日本政府は2022年12月16日、北朝鮮の「従前よりも一層重大かつ差し迫った脅威」や中国の「これまでにない最大の戦略的な挑戦」への「深刻な懸念」を理由に、「最悪の事態も見据えた備えを盤石にする」ための「防衛力の抜本的な強化」という勇まし文章と極めて軟弱な内容を秘めた「防衛3文章」を閣議決定しました。

 この「防衛3文章」は、間の抜けたような「Jアラート」を鳴らし続け、尖閣諸島周辺での日本の決めた領海・領空への中国の侵入をマスコミにセンセーショナルに報じさせ続けることにより、国民の不安と他国への憎悪を嫌というほど煽っての産物ですが、『日経電子版』(2022/12/17)によれば、「新防衛3文章が『最優先課題』に掲げたのは戦闘機や艦艇の修理などに使う部品と弾薬の備蓄拡大だ。自衛隊は部品不足が常態化し、装備の稼働率は5割強しかない」、「弾薬は中長期の戦闘に十分な量に足りていない。備蓄の7割は北海道に偏在し、台湾有事で影響が避けられない南西諸島の防衛に不安が残る」とのことです。BS日テレやBS朝日やBStbsやBSフジ等の番組で戦争の不安を煽り続けている自民党議員や元自衛隊員や評論家たちは、こんな頼りない自衛隊を良しとしてきたのですから、真剣に専守防衛など考えたこともなく、本音では戦争など起こることはないと思っているのでしょう。

 そして、「防衛力の抜本的な強化」という勇まし文章の内容は、「反撃能力」(敵国先制攻撃能力)を持たなければならないほど安全保障環境が危機的だというのに、「トマホーク」の配備は最短で26年度だといい、計画どおり日本が「トマホーク」を400発持ったところで、かれらが想定する相手国は2000発以上持っているので、北朝鮮のミサイルと核兵器が米国の抑止力とはなりえないのと同様に相手の抑止力とはなりえない。仮想敵にとっては軍拡の口実とはなっても脅威とはならなず、張り子の虎の「防衛力の抜本的な強化」であり、〝荒唐無稽〟の抑止力です。本音では戦争など起こることはないと思っての、現実離れした架空の「防衛」のためのお金の垂れ流しと思われてもしかたがないでしょう。

「防衛」を口実にした現在のお金の使い方を正すためには、平和の大切さを訴えて他へのお金の使い道を示すだけではだめです。平和の大切さは、みんなが分かっていることです。いま「防衛」のためとして「防衛」関係者がやろうとしていることに対し、上記の①~③で示した観点を明確にして、事実に基づいて、何が〝自国の防衛〟のために本当に役立つのかを厳しい「選択と集中」の目で吟味して明らかにすることです。

 そして、国民の多くが他国の「脅威」に誘導されているとき、何よりも重要なのは、日本の過去の行動を踏まえ、相手国の立場に立って事象を見るという複眼的な見方を国民の中に醸成させることです。

なお、夢のような話と思われるかもしれませんが、〝一人は万人のために万人は一人のために〟という社会主義の精神が活きる生産様式の社会がグローバルに実現すれば、社会の対立の要素は消滅し、「科学技術」は名実ともに「人間と地球の豊かな発展に寄与する」ものとなり、「資本」の消滅とともに、「防衛」という名の「軍事」は意味を失い、世界中の広場にある「将軍」たちの像は〝人類の野蛮時代博物館〟の展示品となること請け合いです。

最後に、十倉会長の「はじめに」の訂正

十倉会長は、「はじめに」で、「行き過ぎた資本主義は、大きく二つの弊害をもたらしました。その一つは地球温暖化に代表される「生態系の破壊」、いま一つは「格差の拡大・固定化・再生産」です。」と述べています。しかし、この二つの〝致命的な弊害〟は、「行き過ぎた資本主義」がもたらしたのではではありません。資本主義的生産様式に基づく〝今日の資本主義〟が必然的にもたらしたもので、資本主義が続く限り拡大せざるを得ません。経団連に代わって「行き過ぎた」を削除し、訂正いたします。